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10/21東京新聞より「原発の除染廃棄物、3年仮置き 環境省が工程表案」「原発立地寄付 悪い循環を断ち切ろう

瓦礫の受け入れがどうなったかが心配ですが、既に電力会社系列の業者まで決まっていてその業者が落札することになっていて、例え1億で賄えても百億って請求すればそれがまかり通る構造だとか!もうこんな国住んでいたくない。

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011102001001002.html

原発の除染廃棄物、3年仮置き 環境省が工程表案(東京新聞【社会】)

2011年10月21日 02時02分

 福島第1原発事故で汚染された土壌などの除染で出る廃棄物について、地域ごとの仮置き場で3年程度保管し、その間に中間貯蔵施設を建設することを環境省が月内に公表する工程表に盛り込む方針を決めたことが20日、分かった。関係者によると、中間貯蔵施設での貯蔵は数十年に及ぶ可能性が高いという。

 政府は「福島県を最終処分地にはしない」と表明しており、福島県内の発生分は中間貯蔵の終了後は県外に出す。福島県で出た廃棄物の最終処分に必要な敷地、技術などは今後の検討課題となる見通し。他の都県で出た廃棄物は、濃度は低いとして各都県内での最終処分とする方針。

(共同)




原発立地寄付 悪い循環を断ち切ろう(東京新聞・社説)10/21http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011102102000051.html

 東京電力二十年余で四百数十億。中部電力三年で二十六億。原発立地地域には巨額の寄付金が注がれ、電気料金に上乗せされてきた。これが本物の地域振興なのか。電力消費者も考えたい。

 原発のある自治体には、巨額の原発マネーが流れ込む。

 立地に伴う国からの交付金、稼働中の原発に対する核燃料税、固定資産税、そして寄付金だ。

 これまでに支払われた原発マネーの総額は、約三兆円にも上る。

 交付金の財源は、電源開発促進税。これは私たちの電気料金に上乗せされてきた。毎月一世帯平均百十三円程度の負担を強いられている。大型原発一基に付き、建設の準備段階から運転開始までの十年間で五百億円近い交付金が、立地地域に配分されて、公共施設の整備などに充てられる。

 自治体の財政にとっては“あぶく銭”であるはずが、いつの間にか、それを基本にまちづくりが進んでいく。歳入の過半を原発マネーが占める町もある。

 ところが、十年を過ぎると交付金の額は一気に減額される。資産価値も目減りする。膨らんでしまった財布を維持するために、自治体側は原子炉の増設を要望し、寄付をねだることになる。まさに悪循環である。

 原発マネー依存の自治体を一概には責められない。過疎地に原発をつくるのは、膨大な都会の消費を賄うためだ。膨らむ危険の代償として、都会から過疎地へ原発マネーが流されるという、もう一つの悪循環があるからだ。

 原発が本当に安全で、クリーンなものならば、原発マネーは必要ない。迷惑施設と呼ばれることもないだろう。核燃料をリサイクルするプルサーマル発電や、運転開始後三十年の老朽原発には交付金の加算がある。これらこそ危険と不安への対価にも見える。

 福井県の元原発担当者から、こう聞いたことがある。「福井は四、五十年かけて原発が地元に根付くよう努力してきた。交付金で橋や学校、温泉ができた、みたいなこともあるけれど、苦楽をともにというか、目の前に原発があって、農業や漁業を営みながら、原子力とともに歩んできた」

 脱原発には脱原発依存型の地域振興が必要だ。政府の手助けも必要だ。一方、都会の消費者も、原発マネーの悪い流れの中にいる。立地地域に“苦”を強いる、その弊害を意識して、原発依存の暮らしを見直すときだ。
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計画・建設中の原発12基 7基「計画通り推進」(東京新聞・社会)10/20

何が何でもやるみたい。上関も入ってる!なんて恥知らずな。
私には怒る権利はある。本籍地は山口県だぞ!上関には行ったこともないけど、祝島のタコ飯食べてんだぞ!



計画・建設中の原発12基 7基「計画通り推進」
(東京新聞・社会)2011年10月20日 07時06分
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011102090070621.html

 東京電力福島第一原発の事故で脱原発への流れが加速する中、全国の電力事業者が計画・建設中の原発十二基のうち七基で、計画通り建設を進める方針であることが十九日、本紙の取材で分かった。七基のうち六基が立地するのは、東日本大震災の影響が小さかった地域。被害の出た東北と東京、浜岡原発を停止した中部の電力三社は「(建設を進めるかどうか)申し上げられる段階にない」とコメントしている。

 本紙は、原発を計画または建設中の七つの電力事業者に質問状を送り、福島第一原発事故や野田佳彦首相の「新規は困難」とした方針の影響、計十二基の新増設計画の進捗(しんちょく)状況などを聞いた。全事業者から回答を得た。

 その結果、電源開発の大間(青森県)、日本原子力発電の敦賀3、4号機(福井県)、中国電力の島根3号機(島根県)と上関1、2号機(山口県)、九州電力の川内(せんだい)3号機(鹿児島県)の七基について計画通り進めるとの回答だった。

 このうち、島根原発3号機は運転開始時期を従来の「二〇一二年三月」から「未定」に変えた。

 東北電力の東通2号機(青森県)と浪江・小高(福島県)、東京電力の東通1、2号機(青森県)、中部電力の浜岡6号機(静岡県)の五基については、国のエネルギー政策見直しの行方を見定める必要があることなどを挙げ回答を保留。中止には言及しなかった。

 福島第一原発事故を起こした東電は「事態の収束が最優先で、回答する立場にない」とコメントした。

 着工済み原発の進捗状況は、島根3号機が93・6%、電源開発の大間が37・6%、東電の東通1号機が約10%。大間と東通1号機では事故後に本体工事は止めており、今後求められる安全対策が進捗率に影響を及ぼす可能性もある。

 東電は五月、住民の理解が得られないとして、福島第一原発の7、8号機計画の中止を決定。野田首相は就任以来、原発について「新規は困難」と発言しているが、建設中の原発については「個々の案件ごとに判断していくことだろう」と、着工済みの原発の運転には含みを残している。

(東京新聞)

放射能ガレキをとめろ!貴方の意志を自治体や政府にぶつけて下さい。 そして、死に至る除染。





http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927

放射能防御プロジェクト 木下黄太のブログ  「福島第一原発を考えます」

放射能ガレキをとめろ!貴方の意志を自治体や政府にぶつけて下さい。 そして、死に至る除染。2011-10-19 02:37:50 | 福島第一原発  「人を受け入れる、ガレキは受け入れない」


 環境省が放射能ガレキの意見募集しているようです。このブログの読者は今は、二万人以上は、確実にいます。すべての読者が、反対の声を集中させてください。この情報は拡散させ、何万人もの人々が、放射能ガレキ拡散に反対の声を上げてください。日本が滅びるかどうかが、あなたが声を上げるかどうかにかかっています。

http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=14327

houshasen-tokusohou@env.go.jp

平成23年10月17日(月)~平成23年10月26日(水)




さらに、もっと大切なことは、あなたが、今住んでいる市町村、都道府県に放射能ガレキを受け入れるなと、これこそ、直ちに、強く声を伝えてください。電話、メールだけでなく、直接押しかけて話してください。できれば、首長、できなければ担当責任者に伝えてください。放射能ガレキを拡散させ、あなたの街にガレキがくれば、あなたたちの子どもの未来も失いかねません。食べ物もまもれません。西日本が汚染されれば、東日本もさらに追い込まれます。ここの戦いはシビアです。

大分からのメール
「今、目の前にある豊かな自然が、もうすぐ奪われるという恐怖に苛まれながら生きています。子供たち(4歳と1歳)を守れるか、重圧がのしかかります。周りが無関心だということが、一番つらいです。」
長崎からのメール
「長崎県では、佐世保市は今の不明瞭な状況では受け入れを検討するに値しないと、長崎市では、受け入れOKと県に提出するそうです。佐世保市の方に聞きました。長崎県にも電話しましたが、市の判断に丸投げの様な姿勢でした。」

 僕の故郷の徳島は、担当者が、東日本のために一次産業を守らねばならないから、ガレキは受け入れないと明確に答えています。きわめて正しい。自分の故郷がこのような判断に傾いていることを僕は、誇りに思います。東北・関東の住民の健康を守るためにも、西日本各地ではガレキを受けれいれてはなりません。長崎市、北九州市など以外にも、間違って受け入れようとしている事態があるかもしれません。駄目です。絶対に駄目です。受け入れてはなりません。ここで、放射能ガレキを受け入れては、すべてが終わります。あなたの戦いが、日本を助かるかどうかの瀬戸際です。立ち上がってください。本当に終わりますよ。あなたが声をあげねば、本当に終わります。
除染作業に期待をかけているひとがいます。愚かです。きょう、野田総理は高い汚染のある地域で、除染に立ち会うシーンがニュースに映し出されていましたが、本人も福島市の担当者も、マスクさえしていませんでした。ありえません。隣で高圧洗浄していて、放射性物質が飛び散る環境に、マスクもせずに話している総理大臣。そういう話を、若い女性記者がマスクもせずにリポートしている。この国の人々は、特に「エリート」は、どこまで、愚かなのか。信じられません。本当に嫌になる。

 高圧洗浄で、放射性物質は飛び散るだけです。土を剥いで持っていくことはできても、壁も屋根も無理です。コンクリートは一定程度は除染できますが、アスファルトはむりです。土と同じで剥ぐしかありません。

 チェルノブイリで、除染という作業に期待をもち、それにかかわっていった人々の末路は哀れです。はっきり言って死に至るだけです。放射性物質を完全に防ぐことはきわめて難しいです。こんなことは、少し調べればわかります。お前たちはどこまで馬鹿なのか、聞きただしたいです。

 できもしないことを、できるかのごとく嘘を言い続けるやつらを僕は軽蔑します。何度も言いますが、除染は、福島のみならず、かなり広範囲なエリアで無理です。首都圏のような、コンクリートの建物で、土のない場所で、かなりの予算をかけて、時間もかけて、当然その間は、住民を退避させて、それでできるのかどうかさえ、はっきりしません。できてこれが限界です。関東のほとんどのエリアも、一定以上汚染されている場所の除染は不可能です。

 僕は本当ばかばかしくて、ばかばかしくて、この国の、政府も行政もメディアも、どこまでうそ話を続けるのか、それに拘ってい続ける人々の感覚もさっぱり僕には理解できません。

 どこまで、馬鹿ですか。なぜ、除染できるという妄想を信じるのか。頭がおかしいのです。そして、その除染は、利権まみれで汚れているのです。これも間違いありません。

 僕は、闘います。あなたは、どうしますか。





放射能防御プロジェクト近畿in大阪 木下黄太さんの集会

木下黄太さんの集会でパキパキ姐さんとmさんとチラシまき。参加者に関東から非難してきた方多し。切実。新宿が危ないらしい。心配。話聴いて興奮で喘息の私。

木下さんは想像していたよりもっとずっとかっこよかったです。
右脳を使うつもりもなかったのでしっかりノートテイクしてきたから、後で覚書をメモする予定。
こわい話ではなかったよ。ぺんぎんさん。
充分想定内。

世田谷区、さらに高い放射線量 地上1m、原因は不明(東京新聞【社会】)10/13

地表でない!何か降下物があるということなのだろうか? 
「逃げろ!」と言いたい!!!

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【社会】世田谷区、さらに高い放射線量 地上1m、原因は不明

2011年10月13日 11時33分
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011101301000297.html

 高い放射線量が検出された区道(左側)=12日夜、東京都世田谷区弦巻


 東京都世田谷区の区道から最大で毎時約2・7マイクロシーベルトと周辺より高い放射線量が検出された問題で、区が13日に実施した専門業者による測定では、高さ1メートル地点で毎時3・35マイクロシーベルトが検出された。区は除染を含めた対応策の検討を急ぐ。

 今回の線量は「毎日8時間を屋外、残りを木造家屋内で過ごした」との仮定で年間被ばく線量に換算すると、国が避難を促す目安としている20ミリシーベルトよりは低い。

 高線量が検出された原因について、区は泥がたまる地表より高いところで高線量となった理由については「現時点で不明」としている。

(共同)

セバスチャン・プフルークバイル 博士(独)の講演会「風の原っぱ」

来日中のセバスチャン・プフルークバイル 博士(独)の講演会のパワーポイント(日本語)が公開されてます。
木下黄太さんの何人か前のコメントからそこへ飛びます。湯布院のサイト。

みつけました。
10/3の講演のパワーポイントを公開されています。
「ムラづくりNPO 風の原っぱ」
http://www.jca.apc.org/~uratchan/harappa/

2011年10月3日、
ドイツ放射線防護協会・会長のS.プフルークバイル博士から「ホームページで公開してほしい」との要望をうけて、
博士にいただいた2つのデータをここに掲載します


1)セバスチャン・プフルークバイル博士(Dr. Sebastian Pflugbeil)の今回の講演用パワーポイント資料
(「放射能の専門家」と呼ばれる人たちが、いかに事実をねじ曲げ、放射能の危険性を軽視し、原発を容認する世論操作に協力してきたのか、このPPT資料を使って博士は講演しました。湯布院では時間不足で説明できなかった映像資料も含みます)


2)あらかじめ計算された放射線による死:EUと日本の食品放射能汚染制限値フードウォッチ・レポート(PDF)、
トーマス・デルゼー、セバスチャン・プフルークバイル(ドイツ放射線防護協会)編
IPPNW(核戦争防止国際医師会議)ドイツ支部との共同作成 2011年


セバスチャン・プフルークバイル博士
 (Dr. Sebastian Pflugbeil)プロフィール
 (物理学者、ドイツ放射線防護協会・会長)
 1989年以前、旧東ドイツの学術アカデミーで医療関係物理学を仕事分野に。
 1989年以後、ドイツ統一の過程の中、暫定政府であった「円卓会議」で大 臣として入閣。統一直後、ベルリン市議員。チェルノブイリ事故の諸結果
 についての専門家。数年間にわたり現場調査。大部分において「恥知らずの」 公式報告の再検査。

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(木下黄太さんの所にあった略歴)
セバスチャン・プフルークバイル(ドイツ放射線防護協会 会長)
 1947年生まれ。物理学博士。ドイツ・ボンにあるオットー・フーク放射線研究所会員、欧州放射線リスク委員会(ECRR)理事。チェルノブイリ事故、フクシマ事故を解明する各種プロジェクトに参加するほか、事故周辺地域の子どもたちの社会復帰活動に参加。
 89年、旧・東ドイツの民主化運動で最初に設立された市民団体「ノイエス・フォールム」を共同設立。「ベルリンの壁」崩壊後のハンス・モドロウ政権下では、東ドイツのエネルギー政策を改革する目的で数ヵ月間、大臣を務める。90年、ベルリンで市民団体「チェルノブイリのこどもたち」を設立。長年、ドイツ・チェルノブイリ支援協会(ミュンヒェン)の理事を務める。91年~95年までは、ベルリン市議会でノイエス・フォールム選出の議員も務める。


ドイツ放射線防護協会
 ドイツ法に基づき、裁判所に登記されている独立系市民団体。(日本のNPO団体に近い)。放射線リスク、特に低線量被曝のリスクが十分に考慮されず、放射線防護が十分行われていないと見る研究者など、専門家の団体。放射線リスクから、人間と環境を保護することを目的としている。協会組織として、オットー・フーク放射線防護研究所を有する。会費などで運営。90年設立。

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動画もありました。
録画日時 : 2011/10/12 13:39 JST
13:30-14:55真実を見極める :セバスチャン・プフルークバイル
http://www.ustream.tv/recorded/17826285

世田谷で最高2.7マイクロシーベルト 弦巻 小学校の通学路 (東京新聞【社会】)10/13

【社会】
世田谷で最高2.7マイクロシーベルト 弦巻 小学校の通学路 
2011年10月13日 07時22分
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011101390072238.html

 東京都世田谷区弦巻五の民家脇の区道で、毎時二・七〇七マイクロシーベルト(〇・〇〇二七〇七ミリシーベルト)の高い放射線量が測定された。世田谷区が十二日、発表した。東京電力福島第一原発事故の影響とみられ、文部科学省が福島県内の学校の校庭の安全の目安に設定した毎時一マイクロシーベルトの二・七倍に当たる。区は「通行するだけでは健康に影響はない」としているが、現場は小学校の通学路になっており、付近に幼稚園や保育園もあることから、近づかないようカラーコーンを設置した。

 現場は住宅街で、民家の敷地内の樹木が道路側に張り出す形で茂っている。敷地内に雨水の流れが集まりやすい部分があったとみられ、区は原因箇所を特定した上で除染を行う。現在、測定地点に囲いを設け、登下校時は職員らを配置し、児童らが近づかないよう指導している。

 区は今月三日に住民グループから「自分たちが測定器で測ったら高い値が出た」との情報提供を受け、同日から簡易型測定器で測定。六日に最高で毎時二・七〇七マイクロシーベルトの値を測定した。十一日に再度、高精度の測定器で測ったが、数値はほぼ同じだった。

 保坂展人区長は「専門家の意見では、その場を通行しても健康に心配はないとのことだが、近寄らないよう囲いをした。早期に低減措置をとりたい」と話した。

 区は原発事故後、保育園や学校などで放射線量を測定しているが、これまでの最高値は〇・一マイクロシーベルト程度だった。今回の結果を受け、今月下旬から区内二百五十八カ所の公園の砂場や植え込みなどで緊急調査する。

 都内の放射線量は、国の航空機モニタリング調査で、葛飾区や多摩地区山間部の一部で比較的高かったが、それ以外は低い数値だった。ただ七日に大田区の大森第四中学校の雨どいの下で毎時一・〇一マイクロシーベルトが測定されるなど、場所によっては高い値が出ている。大田区は区内の小中学校十三校の花壇などを立ち入り禁止にしている。

(東京新聞)

原発死「福島・双葉病院」のこと

メディア報道の悪意など一杯あったけど、誰がなんと言おうと許せない。怒りと悲しみの原点。あえてまとめず、その羅列。
放射線の外部被曝の急性障害としての原発死だと思う福島・双葉病院のこと。

……
双葉病院、患者440人、避難死45人
http://nurse-time.com/blog/2011/04/28/5199.html

東日本大震災:苦渋の90人放置 患者440人、避難死45人 福島・双葉病院
2011年04月28日 11:00 | ニュース, 病院


東京電力福島第1原発の南西約4キロにある双葉病院の患者が、原発事故を受けた避難中や避難後に死亡した問題で、死者は患者ら約440人中約45人に上る見通しであるそうです。

(なお、最初に報道されたときは院長も含めて先に避難してしまったとありますが、院長は自治体に状況説明を求めに外出中した際に起きた出来事であったことがわかり、マスコミの誤報であったこともわかっています。)

県は病院に一時90人が放置された点などを調査していますが、災害で医療機関や施設の患者ら全員の緊急避難が困難になる事態は国も想定していませんでした。

避難の経緯で何があったのか、毎日新聞が伝えています。

■双葉病院の避難の経緯■

<3月11日>
◆午後2時46分 東日本大震災発生
◆午後9時23分 原発3キロ圏に避難指示

<3月12日>
◆午前5時44分 原発10キロ圏に避難指示
◆午後2時ごろ  双葉病院の患者ら209人と職員が避難。院内に約220人が残る
◆午後3時36分 1号機で水素爆発
◆午後6時25分 避難指示が20キロ圏に拡大

<3月14日>
◆早朝 自衛隊が双葉病院到着。患者ら約130人を救助。院内に約90人が残る
◆午前11時1分 3号機で水素爆発

<3月15日>
◆午前1時ごろ 院長らが避難。患者ら約90人は院内に
◆午前6時 2号機で爆発音。4号機で水素爆発
◆午前10時~正午ごろ 自衛隊が双葉病院から患者ら約90人を救助

<4月6日>
県警が病院から患者4人の遺体を収容

【双葉病院】

■東日本大震災:苦渋の90人放置 患者440人、避難死45人--福島・双葉病院
http://mainichi.jp/life/health……3000c.html

◇4キロ先の原発、水素爆発 職員に警官「逃げるしか」
■バス6時間
 県などによると、同病院には東日本大震災発生当時、約340人の入院患者がおり、近くにある系列の介護老人保健施設にも約100人の入所者がいた。津波などの被害はなかったが、電気や水道は使えなくなった。

 震災翌日の3月12日、原発の10キロ圏内に避難指示が出された。病院と施設の自力歩行できる患者ら209人と多くの職員が避難したが、寝たきりの患者らはできない。鈴木市郎院長によると同日、県へ救助を要請した。

 14日早朝。被ばくの有無を調べるスクリーニング検査の会場となっている福島県南相馬市の保健福祉事務所に官邸からファクスが届いた。「要救助者リスト」の中に双葉病院の名があった。

 ほどなく、陸上自衛隊が救出した同病院の患者ら約130人がバスで到着。大半が寝たきりや認知症の高齢者で、具合も悪そうだった。同行の病院職員はおらずカルテもない。副所長の笹原賢司医師(45)は不安を覚えつつスクリーニングをした。午後2時、患者らはバスでいわき市の避難所に向かった。

 いわき市までの直線距離は約70キロだが、バスは途中にある原発を避けて大きく迂回(うかい)。いわき光洋高校に着いたのは約6時間後で、田代公啓校長はがくぜんとした。車中で2人が死亡し、他の患者の多くも点滴を外して失禁していた。同校に医療設備はなく、患者の名も分からなかった。

 体育館にシートや畳を敷き、校内の机を担架にして2時間がかりで患者を運び込んだ。同校に応援に来ていた看護師はカーテンを裁断してオムツにした。15日未明、2人が息絶えた。「助けてください」。校長は地元FMで支援を求めた。

(以下略)

■3日間絶食

■冷え切る体

■みとられず

■対策の想定外

Tags: 事故, 原発, 東日本大震災, 毎日新聞, 福島県

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http://sociologio.at.webry.info/201104/article_125.html
ましこ・ひでのり おぼえがき
[福島第1原発 苦渋の90人放置 南西4キロの双葉病院(毎日新聞)ほか <<2011/04/26>>
福島第1原発 苦渋の90人放置 南西4キロの双葉病院
毎日新聞 4月26日(火)2時35分配信

 東京電力福島第1原発の南西約4キロにある双葉病院(福島県大熊町)の患者らが、原発事故を受けた避難中や避難後に死亡した問題で、死者は患者ら約440人中約45人に上る見通しであることが分かった。県は病院に一時90人が放置された点などを調査しているが、災害で医療機関や施設の患者ら全員の緊急避難が困難になる事態は国も想定しておらず、今後も同様の問題が起きる恐れがある。避難の経緯で何があったのか。【藤田剛、茶谷亮、蓬田正志】

 ◇バスで6時間

 県などによると、同病院には東日本大震災発生当時、約340人の入院患者がおり、近くにある系列の介護老人保健施設にも約100人の入所者がいた。津波などの被害はなかったが、電気や水道は使えなくなった。

 震災翌日の3月12日、原発の10キロ圏内に避難指示が出された。病院と施設の自力歩行できる患者ら209人と多くの職員が避難したが、寝たきりの患者らはできない。鈴木市郎院長によると同日、県へ救助を要請した。

 14日早朝。被ばくの有無を調べるスクリーニング検査の会場となっている福島県南相馬市の保健福祉事務所に官邸からファクスが届いた。「要救助者リスト」の中に双葉病院の名があった。

 ほどなく、陸上自衛隊が救出した同病院の患者ら約130人がバスで到着。大半が寝たきりや認知症の高齢者で、具合も悪そうだった。同行の病院職員はおらずカルテもない。副所長の笹原賢司医師(45)は不安を覚えつつスクリーニングをした。午後2時、患者らはバスでいわき市の避難所に向かった。

 いわき市までの直線距離は約70キロだが、バスは途中にある原発を避けて大きく迂回(うかい)。いわき光洋高校に着いたのは約6時間後で、田代公啓校長はがくぜんとした。車中で2人が死亡し、他の患者の多くも点滴を外して失禁していた。同校に医療設備はなく、患者の名も分からなかった。

 体育館にシートや畳を敷き、校内の机を担架にして2時間がかりで患者を運び込んだ。同校に応援に来ていた看護師はカーテンを裁断してオムツにした。15日未明、2人が息絶えた。「助けてください」。校長は地元FMで支援を求めた。

 ◇3日間絶食

 鈴木院長によると、そのころ病院には患者ら約90人と院長ら病院職員4人、警察官、自衛官が残っていた。原発事故は深刻化し、陸自も救出に来ない。自衛官は原発の爆発後、「戻らなければいけない」と病院を離れたという。15日午前1時ごろには警察官から「逃げるしかない」と言われ、患者を残して隣の川内村に避難。同6時にも爆発音があり、警察官から「戻るのはあきらめた方がいい」と諭されたという。県警幹部の一人は「最初の救出の後、自衛隊がまた来るという話があったので待っていたが、来なかった(から退避した)と聞いている」と話した。

 一方、原発近くのオフサイトセンターでは陸自の幹部が焦っていた。救出担当部隊から「双葉病院にはまだお年寄りがいる」と連絡があったのに、行政の職員は「県警から避難は完了したと聞いている」の一点張りだったからだ。15日午前に病院に行くと、院内各所に寝たきりの患者がおり、異臭に包まれていた。幹部は「少なくとも患者一人一人の名前が分かり、カルテがあれば、もっと救える命があったはず」と話す。

 陸自に救出された約90人は同県伊達市や福島市の避難所に向かったが、その前後に計10人が死亡。福島赤十字病院によると、患者は3日間何も食べられずに脱水症状を起こしていた。

 ◇冷え切る体

 いわき光洋高校の患者らはその後、会津地方の病院などを目指した。うち21人が乗ったバスは15日に県立会津総合病院に到着。多くの人の体は冷え切っており、看護師の一人は「危ない人がいる」と叫んだ。同日夜以降、死亡する人が相次ぎ、4月11日までに計6人が亡くなった。

 4人を受け入れた会津若松市内の老健施設でも、当初は看護師が「ばっちゃん、生きてっか」と呼びかけても反応がないほど衰弱していた。1カ月ほどして双葉病院の職員が訪れ、「見捨てたわけではない。連れて行けなかったんです」と原発事故の混乱を口にした。患者の一人は「では、なぜ今まで迎えに来なかった」と怒った。

 ◇みとられず

 4月6日、県警は双葉病院で患者4人の遺体を発見した。遺族の佐藤和彦さん(47)=富岡町=は福島署川俣分庁舎の駐車場で父久吾さん(87)の遺体と対面し、「誰にもみとられずに死んでいったのか」と涙が出た。

 父の行方を捜して避難先の東京から連日、避難所などを訪ねていた。署で会った鈴木院長が差し出した死亡診断書は「3月14日午前5時12分死亡、死因は肺がん」。「本当にがんだけが理由か。なぜ、院内に放置したのか」と尋ねたが、「すいません」と言うだけで詳しい説明はなかった。大半の職員が避難した後、父はどんな状況で死んだのか。佐藤さんは「真実が知りたい」と訴える。関係者によると、死者はこのほかにも相次ぎ、計約45人に上るという。

 ◇対策の想定外

 国は新潟県中越地震などで高齢者らの逃げ遅れが相次いだことを受け05年、自力で避難できない高齢者ら「災害時要援護者」の避難支援ガイドラインを策定、市町村に要援護者のリストアップや避難支援計画の作成を求めた。大熊町は09年4月に同計画を作った。

 だが、想定しているのは在宅の高齢者や障害者。病院や福祉施設の患者・入所者が一斉に施設外への避難を強いられたケースは異例で、「入院患者や入所者は施設で対応してもらうのが基本」(内閣府)だった。大熊町の担当者も「病院側と連絡が取れず、県や自衛隊とも情報共有できなかった。入院患者は想定外だった」と話す。

 双葉病院の鈴木市郎院長は3月17、21日の取材に「原発の爆発があり、病院に戻れなかった。患者を放置したわけではない」と話した。その後は病院関係者を通じ「内部で調査が終わってから話したい」としている。

……
最終更新:4月26日(火)9時26分




http://www.kotono8.com/2011/03/18futaba.html

「福島・双葉病院「患者置き去り」報道の悪意。医師・看護師は患者を見捨てたりしていなかった(追記あり) - 絵文録ことのは(3月20日)」

福島県大熊町の「双葉病院」で、医師・看護師が患者を見捨てて逃げていた、という報道がなされていたが、実際には現場の状況は大きく異なることがわかった。これは、病院関係者の家族によるツイートもあり、また後発の報道でも(見出しは悪意あるものの)内容的には「患者を置き去りにして職員だけが逃げた」というような悪評を完全に否定するものとなっている。

現地での直接取材はかなわないが、当事者のツイートなどを「Togetter - 「福島・双葉病院「患者置き去り」報道に関する情報」」にもまとめてみた。若い人なので表現が至らないところもあるようだが、その趣旨を酌んで以下、簡潔に状況をまとめてみたい。

少なくともマスメディアは名誉回復を全力で行なうべきだと思う。

……
3/21追記

このブログ記事のコメント欄に寄せられた情報を掲載する。「双葉病院の医師が、ある掲示板(closed)で当時の状況を本日報告されました。全文コピーします。」とのこと。以下、上記でまとめた状況と矛盾しない情報が寄せられている。

私は今話題になっている双葉病院の医師です。 私自身避難先の病院にいますが、やっとこの掲示板を読み書きする余裕ができました。とりあえず私が経験したり院長から直接聞いた情報を書きます。賛成も反対も要りません。 皆様に事実を知っていただきたいと思います。

双葉病院は350床の精神科病院ですが、地域の認知症の患者さんを多数受け入れており、約半数が老人で寝たきりも多く、TPNの患者さんがが20数名、経管栄養が30名以 上いました。

3/11の地震直後に電気・ガス・水道は止まったものの、病院の建物は無事で、職員・患者さんに全く怪我はありませんでした。海岸から離れているため、津波の被害も全くあ りませんでした。 地震当日は帰宅困難な職員が泊り込み、救援物資が届くまで食事や経管栄養の回数を減らす、点滴速度を下げるなどの対応で凌ぐことにしました。
しかし翌日、原発事故のため第1原発から2キロだった避難指示が10キロになり、病院が避難エリアに入ってしまいました。このまま病院に留まっていても避難エリア内のライ フラインの復活や救援物資は全く期待できないため、大熊町に避難のバスを依頼しました(大熊町はバスを依頼するまで病院の職員と患者さんが残っていることを知りませんでし た)。
町から大型バス5台が来たため、自力で歩ける患者さんを中心に209名の患者さんと私を含め数十名の職員が5台のバスと数台の病院の車に乗って、数日分の薬と非常食を積ん で大急ぎで避難しました(避難したのは最初の爆発の2時間前でした)。この時は一時的な避難で、病院に数日以内に帰ると思っていました。私たちの出発時に院長は病院に間違 いなく残っていました。
最初に避難した209名の患者さんと職員は三春町の避難所(学校の体育館)で一泊し、翌13日にいわき市にある関連病院にバスで避難しました(2 名の患者さんは避難所で家 族に引き渡しました)。いわき市に避難した患者さんは、多くの病院の先生方のご協力を得て、殆どの患者さんが1人も亡くなることも病気が悪化することもなく茨城、埼玉、東 京、山梨、神奈川の病院に無事入院させていただくことができました(茨城と山梨の先生方はバスをチャーターして迎えに来ていただきました)。
また、患者さんを連れて各病院をバスで回ると、「空のバスで帰るのはもったいない」といってたくさんの支援物資を乗せて頂きました。ダンボールに書かれた「ガンバレ!」と いうメッセージを見て涙が出るほど嬉しかったです。

さて、病院に残った院長と数名のスタッフは、1回目の水素爆発の後も電気も水道も通信手段もない(携帯も公衆電話も不通)病院で点滴やオムツの交換をしつつ次の救援を待っ ていたそうです。
自衛隊の救援が来たのは、丸2日後の3/14の午前で、近くの老健の入所者98名と双葉病院の寝たきりの患者さん30名をバス8台で連れて行きました。その後院長を含む4 名が警察官と共に次の救援を待っている間に3回目の水素爆発があり、3/15午前1時に警察の車で強制的に川内村まで避難させられたそうです。
院長一行は川内村から再び病院に戻ろうとしましたが、避難指示のエリアということで戻ることは許可されず、1回目とは別の自衛隊員だけで最後まで残された90数名の患者さ んを避難させたそうです。自衛隊によって避難させられた患者さんは、名前も病名もわからない状態で医療機関や施設に収容され、中には亡くなった患者さんもおり、各病院の先 生方にはご迷惑をおかけし、大変申し訳なく残念に思っております。

以上の経過の通り、患者さんが全員避難するまで院長は病院に留まろうとしていたのにもかかわらず、強制的に警察に退避させられたのです。間違っても患者さんを置いて「逃げ た」わけではないのです。
おそらく最後に患者さんを避難させた自衛隊員の報告を聞いた県の担当者が、何の裏づけも取らず「なぜ入院患者だけがいたか、現段階では分からない。避難する中で混乱が起き ることはあるが、もし高齢者だけを置いて避難したとしたら許せない」と発言し、新聞が横並びに報道したものと思われます。後になって県は訂正しましたが、果たしてどれほど の人がこの訂正を知っているでしょうか?

今回の地震では、殆どの病院スタッフが被災しています。家を流されたり家族の安否がわからない状態で患者さんたちと共に避難しサポートをしている中で、病院と院長の名誉を 傷つけ、私たちの心を踏みにじるようなコメントを軽々に発した福島県を絶対に許すことができません。

以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。

小出さんにインタビュー

今日の大津の小出裕章先生の集会、やはり「もんじゅ」の隣県の滋賀県での講演は、大阪府の時みたいにぬるくないです。
会場でできた新しい友人は、なんと小出先生にこの前インタビューしてきたばかりだというじゃありませんか。それで記事を核にじゃなく書くにあたって本人の話を聴きに来られたそうな。
いいなぁ小出さんにインタビューなんていってたら幸運の女神がやってきたので前髪つかんじゃいました。

大津駅で小出先生と出会ったんです。

新快速の中で30分間友人と独占インタビュー。

至福の時。宝くじ当たったらこんな感じかも。

私の傘の写真が載った東京新聞やら「大阪市"原発"市民投票」の昨日のチラシや最近の今井氏の新聞記事(4日東京新聞、9日朝日新聞)をお渡しして、いろんなことをミーハーみたいなアホ丸出ししながらお聞きしていたら、横のおっちゃんが「うるさいから小さい声でしゃべってんか!」と怒られるも、三十秒すぎたらまたテンションあがるわなんやらあ〜幸せ!
電車降りたくなかったなぁ。

インタビュー内容の一部

「この世の終わりに一本だけお酒を持っていって良いと言われたら、迷わず日本酒を持っていきます。(小出裕章談)

10人の甲状腺機能に変化 福島の子130人健康調査 (信州毎日新聞)

カタログハウスと茅野市主催の「ふくしまっこの夏休み」で招待された130人のことでしょう。
山本太郎ちゃんがすいか割りで訪れて「僕はあと20時間ここに居られます。福島から来られたお母さんたちにお会いしたい。えっムリですって?僕は旅館にご飯食べに来たのではありません!」とカタログハウスの社員に文句を仰られたあの翌日かそのくらいですね。
急遽、病院で精密検査したということは報道はされていませんでしたが、ふくしまっこの夏休みのスタッフの方のブログでお見かけした覚えがあります。
カタログハウスって全然宣伝しないんだから!奥ゆかしいのもほどがある。
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http://www.shinmai.co.jp/news/20111004/KT111003ATI090018000.html
10人の甲状腺機能に変化 福島の子130人健康調査
(信州毎日新聞)10月04日(火)


 認定NPO法人日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)と信大病院(ともに松本市)が、福島県内の子ども130人を対象に今夏行った健康調査で、10人(7・7%)の甲状腺機能に変化がみられ、経過観察が必要と診断されたことが3日、分かった。福島第1原発事故との関連性は明確ではない。旧ソ連チェルノブイリ原発事故(1986年)の被災地では事故から数年後に小児甲状腺がんが急増しており、JCFは今後も継続的に検査が受けられるよう支援していく方針だ。

 調査は原発事故から逃れて茅野市に短期滞在していた子どものうち希望者を対象に7月28日、8月4、18、25日に実施。130人は73家族で生後6カ月~16歳(平均年齢7・2歳)。医師の問診と血液検査、尿検査を受けた。

 甲状腺は成長に関するホルモンをつくる。今回の調査で1人が甲状腺ホルモンが基準値を下回り、7人が甲状腺刺激ホルモンが基準値を上回った。甲状腺機能低下症と診断された例はなかった。信大病院の中山佳子小児科外来医長は「現時点では病気とは言えないが、経過観察の必要があるので、再検査を受けるように伝えた」としている。

 ほかに、2人の男児(3歳と8歳)が、甲状腺がんを発症した人の腫瘍マーカーにも使われる「サイログロブリン」の血中濃度が基準値をやや上回った。サイログロブリンは甲状腺ホルモンの合成に必要なタンパク質。甲状腺の腫瘍が産生したり、甲状腺の炎症で甲状腺組織が破壊されたりすることで血中濃度が高くなるが、健康な人の血液中にも微量存在する。

 原発事故で放出された放射性物質のうち、放射性ヨウ素は、甲状腺が甲状腺ホルモンを合成する際にヨウ素を使うため、人体に取り込まれると甲状腺に蓄積、甲状腺がんや機能低下症を引き起こす。

 JCFの鎌田実理事長(諏訪中央病院名誉院長)は「いろいろ意見はあるが、被ばくの可能性は捨てきれないと思う。継続してフォローしていくのはもちろん、福島の新たな希望者がいれば、健康調査の枠を広げるつもりだ」と話している。


連合会長も脱原発「事故で甚大な被害」

転送されてきました。私も気になって気になって

これが民主党や連合傘下の労働組合の脱原発運動への参加にどう影響を与えるのかが注目されます。


連合会長も脱原発「事故で甚大な被害」
2011年10月4日 09時36分
(3時間23分前に更新)

 連合は4日、東京都内で定期大会を開き、古賀伸明会長が冒頭のあいさつで、今後のエネルギー政策について「最終的には原子力に依存しない社会を目指していく必要がある」と述べた。連合はこれまで原発の新・増設推進を掲げていたが、東京電力福島第1原発事故を受け方針転換した。

 野田政権は既に「脱原発依存」の方針を表明。民主党最大の支持母体である連合も脱原発にかじを切って、足並みをそろえたことになる。

 連合傘下の労組には、原発推進から脱原発まで意見のばらつきがあり、組織内の意見調整は難航していたが、古賀会長は「ひとたび事故が起これば甚大な被害をもたらす可能性があることを現実のものとして知った」と方針転換の理由を説明した。(共同通信)

http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-10-04_24285/

連合:「脱原発」を表明…会長「甚大な被害、現実に」
2011年10月4日 11時49分 更新:10月4日 12時18分

連合定期大会であいさつをする古賀伸明連合会長=東京都千代田区で2011年10月4日午前9時43分、梅村直承撮影

 連合の古賀伸明会長は4日午前、東京都内で始まった定期大会で「原子力エネルギーに依存しない社会を目指していく」と述べ、従来の原発推進の立場を転換し、脱原発を目指していくことを表明した。東京電力福島第1原発事故の深刻な影響を踏まえた判断。民主党最大の支持母体の連合が方針転換したことで、今後の政権運営にも影響を与えそうだ。

 古賀会長は冒頭のあいさつで、「原発事故の甚大な被害を現実のものとして知った。原子力に代わるエネルギー源の確保、再生可能エネルギーの推進、省エネの推進を前提に中長期的に原子力への依存度を低減していく必要がある」と述べた。ただし短期的には、電力の安定供給の観点から、定期点検などで停止中の原発は、地元の合意や国民の理解を前提に活用するとした。【井上英介】

http://mainichi.jp/select/today/news/20111004k0000e040040000c.html

連合定期大会、「脱原発」に方針転換

 民主党最大の支持組織「連合」が定期大会を開き、これまでの原発推進の方針を転換し、「脱原発」を目指して政策を見直す方針を打ち出しました。

 「原子力エネルギーに依存しない社会を目指していく必要があると考えます」(連合 古賀伸明 会長)

 連合は去年8月にまとめたエネルギー政策では原子力発電について推進する方針でした。しかし、福島第一原発の事故を受け、今年6月に、この推進方針を凍結していました。

 4日の大会で連合の古賀伸明会長は、原子力に代わるエネルギーを確保することなどを前提に「最終的には原子力に依存しない社会を目指す」として、連合内に委員会を発足させ、脱原発を具体的に検討する方針を明らかにしました。

 民主党最大の支持組織、連合の方針転換は民主党内のエネルギー政策の議論にも影響を与えそうです。(04日11:13)

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4842840.html

連合、「脱原発」に方針転換=古賀会長再選へ―定期大会始まる

 連合の第12回定期大会が4日午前、東京・丸の内の東京国際フォーラムで2日間の日程で始まった。古賀伸明会長はあいさつで、東京電力福島第1原発事故を受けて「最終的には、原子力エネルギーに依存しない社会を目指す必要がある」と述べ、原発の推進を掲げた連合の従来方針を転換する考えを明言した。

 古賀会長は、東日本大震災に関して「連合は被災地の復旧・復興・再生を全力で支える」と強調した。

 今回の大会では、震災からの復興・再生、原発事故の早期収束への取り組みなどを内容とする2012~13年度運動方針を採択するほか、古賀会長を再選する見通し。会長の任期は2年。 

[時事通信社]

http://www.asahi.com/business/jiji/JJT201110040035.html

1200人の すんすん (10/2伊丹の集会)

小出さんの番組「friends after 311」は見たかったのですが睡魔に勝てず、というかどこでやっていたのかわからず。
翌10/1は10時からBS11、11時からCSの朝日ニュースターのはしごだったのでTV見ておりました。

その日は朝から朝日新聞に「消費地から原発を問う住民投票」とかなんとかの記事が出るらしかったので心待ちにしていたのですが、空振りアウト。
なーんだ ちぇっ やっぱり朝日だなと言ってたのですが、夕方ムンク商会の会長からメールで「夕刊に出てますよ」ってんで 「キャーっ」と言って今に至る。
いや別に何もしてないんだけど、翌日「カンプリ」で新聞記事を千枚ほど簡易印刷して伊丹ホールで配ってきただけ。

あたかもスタッフのような顔してチラシまいて、落合恵子さんにサインしてもらって(4冊分)おしゃべりして握手してもらって
伊丹の「長寿蔵」に地ビールを見に行って。見ただけです。ほんとうに。

それにしてもレモンちゃん(落合恵子さん)はとてもステキな方でした。
セリフ(文章)が良いだけでなく、語りが素晴らしいのです。
目頭があつくなっておもわず涙がこみあげると、まわりから「すんすん」って聴こえるんです。
1200人の すんすん

一旦終会の挨拶があったにもかかわらず「言い忘れた」と再び壇上にあがる落合さん。
ひょっとしたら、と思ったら「みんなで決めよう”原発”国民投票」のこと!
「やったねー」と小躍りしそうでした。
だってチラシがsold outだったんですもの。こんなん初めて。

川西市の市民グループでなく「みんなで決めよう”原発”国民投票」の主催だったのかと勘違いしそうなくらいの盛り上がりでした。
おかげでとても気持ちが大きくなって伊丹の白雪酒造の「長寿蔵」で地ビールを眺めに行ってしまいました。
眺めただけです。本当に。

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小出さんがインタビューされる番組「friends after 311」
http://iwaiff.com/201110/jp/friends/friends_after_311_movie_koide.html
阿智胡地亭の非日乗さん ありがとう

下記、「原発」国民投票関連の番組やら記事をupしてくれたブロガーさんたち ありがとう

2011/10/01 『パックインジャーナル』日本で「国民投票」はできるのか? 原発国民投票
http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/article/3358/

2011/10/01 BS11の“報道原人”10:00~
日本で「国民投票」はできるのか? 原発国民投票
http://www.dailymotion.com/video/xleuxi_20111001-yyy-yyyy-yyyyyy-yyyyyy_news

小出裕章著『子どもたちに伝えたい―― 原発が許されない理由』

9/25(日)の東京新聞に広告が出ていて知りました。
子ども向けの「教科書」が欲しいと小出さんの師匠が昔っから言われていたそうで、それが実現したようで嬉しいです(涙
小出さん ありがとう!

小出裕章著『子どもたちに伝えたい―― 原発が許されない理由』 1260円 東邦出版 (2011/9/22)

以下、amazonから。
言語 日本語
ISBN-10: 4809409805
ISBN-13: 978-4809409806
発売日: 2011/9/22

内容紹介
原発全廃を願う私が考えるこれらの理由より、
もっと大事なことがあるのなら、
それを示してもらいたい!


反原発40年、
京都大学原子炉実験所助教
小出裕章最新刊!

著者初となる全編オールカラー!
豊富なデータと図解でわかりやすい!


やさしい解説で10歳ぐらいからお読みいただけます。


この本を手にとってくれたあなたが10代であれば、私はまず謝らなくてはいけません。
私は、科学者として京都大学原子炉実験所で、原子力を研究しています。
そして、どんなことがあっても原子力だけはやってはいけない、
原子力発電所は、いますぐなくさなくてはいけないと思っている人間でもあります。(中略)
 私がいまできることは、子どもたちに嘘をつかないことです。
「原子力は安全だ」「地球にやさしい」などというのはすべて嘘だった。
原子力発電の本当のことを、これから生きていく子どもたちに伝えたくて、この本を書きました。
――「はじめに」より



◆第1章 原発の誕生と現実 ~恐ろしい“破壊兵器”~
 石油はあとどれくらい残っているのか
 エネルギー源は化石燃料だけで数百年もつ!?
 自然界には存在しない危険な物質プルトニウム
 高速増殖原子炉『もんじゅ』の非現実性
 1兆円の無駄使いの責任をだれもとらない国
 本当の目的は、原発ではなく核兵器の製造!?  ほか

◆第2章 それでも原発をやめない理由 ~大人たちの様々な思惑~
 原子力発電と火力発電の構造は同じ
 責任のない子どもたちをだれが守るのか?
 数百万年かけても消滅しない毒性
 放射性廃物を貧しい地方や国に押しつける
 なぜ原発は都市部には造れなかったのか?
 日本の原発は『地震の巣』の上に建っている
 電力量は水力・火力だけで足りる
 実は費用が高い原子力発電
 原発を建てれば建てるほど電力会社は儲かる ほか

◆第3章 人間の力では対応できない原発 ~事故の実際とその後の悲劇~
 公開されなかった被曝量の試算結果
 放射線管理区域に匹敵する汚染
 法律を無視して汚染地域を放置した政府
 避難生活か被曝か、どちらかしか選べない
 年間1ミリシーベルトの被曝の危険性とは?
 国に見捨てられた私たち日本人
 放射線量に「これ以下は安全」は、あり得ない
 国が決めた被曝量の上限など信じてはいけない ほか

◆第4章 いま、私たちがすべきこと ~安全な未来へ向けて~
 校庭の土を剥ぎとるだけでも被曝は防げる
 汚染された食べ物を大人が引きうけるルールを
 エネルギーの大量消費は産業革命から始まった
 いまこそ、人間の立ち位置を見つめなおそう ほか

7/23原爆も原発も同じ!憲法九条違反だ! 小出裕章

9/17大阪中ノ島公会堂で「原爆も原発も同じ!憲法九条違反だ! 小出裕章」という表題の救援連絡センターの機関誌「救援」を読んでおりましたら、後ろから今井一氏が「えっなんやそれ?小出さんすごい内容やないか!」と覗きこんでこられ、7月23日、堅田九条の会例会・大津市での「原爆・原発と憲法九条」についての講演だと説明しました。
タイトルだけ見ますと、とても過激でびっくりしました。
この日はシンポジウムがあったんですが時間配分がめちゃくちゃで先頭の方が持ち時間10分なのに一人で45分も費やし、主催者側がそれを黙認し、後続の方の時間を喰ってしまい、それに抗議して今井氏出演されずに帰られたんです。あれはひどかった。時間を言われなかったらだらだらと発表するという確信犯的な演者と咎めもしない主催者。抗議するが受け付けてもらえなかったら怒って帰るわな。

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http://qc.sanpal.co.jp/info/1339/
「原爆も原発も同じ!憲法九条違反だ! 小出裕章」

1発の原爆で町がなくなった

つい何十年か前まで世界は悲惨な戦争をずっと続けていた。ナチスドイツという国がユダヤ人を中心に何百万人も虐殺したという歴史がある。ナチスはビルケナウ強制収容所にたくさんの人を収容し、虐殺した。そのことを戦後のドイツはずっと背負って自分たちがやったことを問い続けている。1985年に当時のヴァイツゼッカー大統領が、ドイツの国会で「荒れ野の40年」という有名な演説を行った。彼が何を言いたかったかというと、「歴史に目を閉ざしてはいけない。自分たちがやってきた過去をしっかりと見つめておかないと、現在をまた間違える、未来のことをまた間違える」ということ。

東京大空襲と原爆
東京は1945年3月10日に東京大空襲という空前絶後の空襲を受け、一面焼け野原になった。B29という当時の最大の爆撃機が344機東京上空に飛来し、雨あられと爆弾を落としていった。344機ということは、1機のB29 が滑走路を飛び出し、1分後にそれを追いかけるように飛んで、なんと6時間もかかる。とてつもない数のB29が飛来し、東京は焼き尽くされた。
私は東京生まれ、東京育ち。上野と浅草の真ん中当たりに私は生まれ育った。東京の市街地の40%が焼き尽くされた。焼け死んだのは10人ではない、100人でもない、1000人でもない、1万人でもない、10万人という数の人が焼き殺された。それでも日本は戦争をやめなかった。天皇を守らなければいけない、国体を守らなければいけないと戦争を続けた。一方、米国のほうは、なんとかして日本をやっつけなければいけないとして、原爆を作ろうとしていた。
トリニティという名前のついた原爆が1945年7月16日の朝、米国のアナマホルドというところで爆発した。何でその日に爆発したのかというと、日本に勧告会議をするためのポツダム会談が開かれる日にあわせて米国は爆発させた。彼らは「俺たちは勝った、これでこの世界は俺たちのものだ」ということを知った。しばらくして、米国は日本に原爆を落とした。

広島・長崎への原爆投下
広島に落とされた原爆のきのこ雲の下には広島の町がある。何のへんてつもない、日本家屋が立ち並び、路面電車が走っていて、人々が生活をしている。東京もそうだったが、広島の町もそうだった。原爆が落とされて、町自体が全てなくなってしまった。爆心地からすこし離れたみゆき橋に、幸か不幸か即死はしなかった人々が、生き延び、逃げ惑って集まってきた。この人たちも被曝したから、かなりの人はごく短期間に亡くなった。生き延びた人も被曝者というレッテルを貼られ、一生背負って生きなければいけなかった。3日後に、今度は長崎に原爆が落とされた。長崎の町も家が密集していた。人々は爆撃を受けて、真っ黒焦げになった。
東京大空襲で344機のB29が落とした爆弾の総量が1685トン。当時、町ひとつが無くなる恐れがあるというのが1トン爆弾。それに換算すると、約1700発落とされた。東京の下町がなくなってしまうくらいの量だった。広島は16キロトン、1万6千トン。東京一面を焼け野原にした東京大空襲の10倍という爆発力を持ったものが原爆だった。長崎の原爆はもっと大きかった。たった一発で21キロトン。東京に飛んできたB29は344機。広島・長崎に飛んできたB29は3機。落とした1発の爆弾で町がなくなった

火薬と核分裂の原理
灯油は、1kg燃やすと1万キロカロリーの熱が出る。火薬の熱は1000キロカロリー。灯油の10分の1しか火薬はエネルギーがでない。ものが燃えるには酸素が必要。例えばコップの中のろうそくに火をつければ燃えるが、ガラスをかぶせてコップの中にある酸素が無くなればそれで終わり。燃えるということは、灰、二酸化炭素、熱が出てくるということ。
火薬は、酸素が無ければ燃えないということでは困る。火をつけたら、全部燃えなければ爆発しないので、酸素が無くても燃える物質を探し続け、ようやく見つけ出したのが火薬。非常に効率の悪いものしか見つけることが出来なかった。火薬は酸素を必要とせず燃えるが、その性質を獲得するために、発生するエネルギーが大幅に少なくなってしまった。
原爆に使ったウランの核分裂はどうか。ウランは広島に落とされた原爆の原料。原子核というものがあり、中性子がある。中性子は酸素を必要としない。これがぶつかると、この原子核が核分裂をする。そして、このときに中性子が飛び出していく。この時に重要なことは、はじめにぶつかったのは1個だが、分裂後は2個から3個に増えている。つまり一番最初に「火(=中性子をぶつける)」さえつけてしまえば、火種は山ほど出てくる。これを次のウランまたはプルトニウムの原子核にぶつければ、次々と核分裂し、あっという間に全てが燃え、爆弾になる。

核分裂反応は、はじめから爆弾の原理

広島型原爆の原理
核分裂反応というのは、はじめから爆弾の原理である。火をつけさえすれば、一気に爆発するといういう性質を持ったものだ。原子力の平和利用はいいと言う人たちは、核分裂反応が原爆という形で利用されたのが不幸だというが、そうではない。不幸でもなんでもなく、核分裂反応がもっている性質が一番開花して爆弾になっている。核反応が爆弾向きなのだ。
広島に落とされた原爆はウランだった。長崎に落とされたのはプルトニウム。ウランは地球上どこにでもある。ウランには2種類の組成がある。この中の核分裂をする、燃えるウランというのは235番という番号がついているが、全体の0.7%しかない。99.3%は燃えない238番ウランだ。原爆にもならなければ、原子力発電の燃料にもならない。つまり、折角ウランを地底から取ってきても、役に立つ成分は0.7%しかない。
これに火をつけようとしたらなかなかつかない。「さて困った、どうしようか?」と考えた。「原爆を作るため、取ってきたウランの中で0.7%しかない燃えるウランをなんとかして集めよう」ということを考えた。しかし、燃えるウランも燃えないウランも同じ元素なので、ケミカルで分けることはとてつもなく難しい。235という番号と238という番号は、重さをあらわしているが、ほんのわずかしか重さの違いがない。その重さの違いを捉えて同位体分離という特殊なことを行い、ようやく広島原発を作った。

プルトニウムを使った原爆
でも、「やはりこれは大変だな」ということで別のことを米国は考え出した。プルトニウムという物質で原爆を作ろうとした。しかし、プルトニウムという物質はこの世界には一つも無い物質。これは人工的に作るしかない。まず燃えるウランに中性子がぶつかると、核分裂という反応が起こり、核分裂生成物という死の灰と膨大なエネルギーと2-3個の中性子が出てくる。これが燃えるウランの反応。では、燃えないウラン、238番については、一体どうなるのか。中性子がぶつかると、核分裂はしないが、補核という反応をしてウラン239という原子核になる。このウラン239は放射能を持っていて、ベータ線を出しながらネプツニウム239という放射能に変わる。このネプツニウム239も放射線を持っていてベータ線を出しながらプルトニウム239に変わる。
ウラン239に中性子をぶつけさえすれば、プルトニウム239というものが自然に出来てくるということを物理学者が見つけ米軍に教えた。米軍は「それならウランの中に0.7%しかない燃えるウランで原爆を作るよりは、99.3%を占めている燃えないウランをプルトニウムに変えて原爆にしたほうがよさそうだ。」ということに気がついた。

米軍のマンハッタン計画
その為に米国はハンフォードという大変な僻地に秘密都市と多数の原子炉を作った。原子炉を動かすと燃えるウランが核分裂してたくさんの中性子が出てくるが、その中性子を燃えないウランにぶつければ、自然にプルトニウムが出来る。その原理を利用しようとした。そして出来てきたプルトニウムを再処理という方法で処理して、長崎の原爆を作った。
結局、米軍のマンハッタン計画というのは、燃えるウランの塊を作って、広島原爆を作った。もう一方では、これでは大変だということで、原子炉を作ってプルトニウムを作り出し、それを再処理工場で取り出し長崎原爆を作り出した。こうやって二つの流れから、米国は原爆を山ほど作りだす力を得た。つまり、ウランを集めるという作業、燃えないウランをプルトニウムに変換する原子炉、そして変換したプルトニウムの再処理、原爆を作るにはこの3つの技術を手に入れるということが必要になった。

原子力の平和利用
こうして原爆というものを作り上げるためには、とてつもないエネルギーが必要だということを知った。私自身もそうだった。東京の下町に住んでいて、東京でたくさんの原爆展というのが行われていた。それを中学・高校時代に見に行った。それで、「原爆というのはとてつもないものだな、でも、こんなにエネルギーを出すものがあるのか」とびっくりした。ただ、驚いて恐ろしいと思ったことは、のちに私の心の中で逆転した。「これだけのエネルギーを出すものであれば、これを平和的に利用したら人類のためになるのではないか?」と思い、私は原子力の平和利用のために自分の人生をかけようと思ってしまった。

原子力が始まった頃の夢

日本で原子力が始まった頃、どのように夢が描かれていたか。化石燃料はいずれ無くなるから、将来のために原子力が必要と私は思ったし、多くの日本人も未だに思っているだろう。でもこれが全くの間違いだった。電気料金は世界一高い。原子力発電所は火力発電所より小さくはなく、お化けのような工場になった。もちろん都会に建てることはできない。過疎地に押し付けた。

石油獲得と侵略戦争
石油はあと何年もつのだろう?1930年に石油があと何年でなくなると考えたかというと、18年。この年は、前年の1929年に世界大恐慌が起き、労働者が首を切られて巷にあふれるという時代。これからは自分の国をなんとか強国にする努力をしなければいけないし、石油や石炭というエネルギー資源の確保もしなければいけないということになった。日本は非常に単純な選択をした。日本国内にはエネルギー資源が少ないので、「そうなったら大陸の資源を押さえればいい」と満州に侵略を始めた。これから日本は15年戦争という大変な時代に入っていく。日本だけではなくて、アジア諸国の人々、何千万人もの人を苦難の底に落とすという歴史を始めた。
長い戦争を続けて10年経った。1940年になったら、石油はあと何年になったか。10年前の1930年には18年しかないと言ったのだから、10年後の1940年には、あと8年しかないということにならなければおかしい。では、実際どうだったかというと、まだ23年ある。もうこれで歴然と間違えていたと反省しなければいけないのだが、でもこの時は、そうできない時代だった。日本という国は中国へも侵略戦争を始めていた。世界中から忌み嫌われていた。
石油に関しては、ABCD包囲網という経済制裁を受けた。A=アメリカ、B=ブリテン=イギリス、C=中国、D=Dutch=オランダ。そういう国々が、「日本には石油をやらない」という制裁を発動した。これに対しては、非常に単純な選択をした。「こうなったら南方の石油を押さえるしかない」ということで太平洋戦争を始めた。

戦後のエネルギー政策
そしてまた長い戦争が続いて、1945年になって、原爆を落とされて、遂に日本は敗北する。世界では戦争が続いている。1940年から10年経って1950年、この年に石油があと何年あるか考えた。するとまだ20年あると言った。この時はまだ朝鮮戦争という大変悲惨な戦争が行われていて、世界中がどうやってエネルギーを確保するか血眼になっていた時代。それで「後20年で石油が無くなってまう、大変だ」とやはり皆が言い続けた。
1960年代。この頃は私が中学時代の頃。石油があと35年で無くなると私はずっと脅かされて、「もうしょうがない。原子力だ」と思った。しかし1964年には東京オリンピックで大量のエネルギーを使って、東京をコンクリートジャングルに改良するということをやった。そんな時に、あと34年、35年といっていた。その後、まだ何年経っても30年といい続けてきた。オイルショックというのがあった。1回目もあったし、2回目もあった。それでもまだ石油は約30年あるといい続けた。その後もずっと石油は30年、35年あると言いつづけた。

化石燃料と原子力
現在の石油の可採推定量値で一番新しいのは、「あと50年ある」ということ。化石燃料がいずれなくなってしまうなんて本当だろうか。石油が20年で無くなるという時代が20年続いた。石油が30年で無くなると脅かされた時代が30年間続いた。今、石油が50年で無くなると言われている。この時代が50年続く。1990年からそういい始めている。もう既に20年間そう言い続けている。
化石燃料が無くなってしまうというのはインチキだった。そんな宣伝に惑わされて、国の運命を決めるような選択をしてはいけない。私のように自分の人生を掛けるような選択をしてはいけない。だが、多くの日本人は、未だに化石燃料がなくなるので原子力が必要だと思っている。「いずれ石油は無くなる。やはり原子力必要だ」と。たしかに、化石燃料はいずれなくなる。地球が46億年かけて地下に蓄えてきた資源を、人間が湯水のように使おうとすれば、いずれなくなるのは当たり前。しかし原子力の燃料であるウランも地下に埋まっている資源。それを掘ってきて使えば、いずれ無くなる。問題はどっちの資源がどれだけ多いか、それだけのことだ。

原子力はエネルギー資源にならない

地球で一番多い資源は石炭だ。ただしこれは究極埋蔵量で、地球に存在しているということが分かっている資源。地下から掘ってくるということは、エネルギーが必要であり、金勘定をして金儲けにならないと思えば全ての石炭を掘れるわけではない。今も北海道にたくさん石炭はあるが、結局、金儲けにならないとして、北海道の炭鉱は全て閉鎖されてしまった。
次の資源は天然ガス。最近天然ガスが大変便利だとして、たくさん使われるようになった。ガス田開発が進められて、今や石炭に次ぐ資源だと認められるようになってきた。天然ガスだけで、人類何百年間のエネルギーを供給できるだろう。
そのほかに石油であるとか、オイルシェール・タールサンドとか。今のところオイルシェール・タールサンドは金儲けにならないので使っていないが、これからどんどん使う時代が来る。これはすべて化石燃料。化石燃料が無くなってしまうから、原子力が人類の生存のためには不可欠だと宣伝がなされ、私はそれを信じた。では、原子力の資源であるウランは石油に比べて数分の1、石炭に比べたら数十分の1しかない。こんなものにもともと未来をかけること事態、間違えていた。

核燃料サイクルのインチキ
ただし、原子力を進めようとする人たちは、「原爆を考えろ。広島の原爆は確かに燃えるウランでできていた。長崎の原爆はプルトニウムで出来ていた。プルトニウムは、燃えないウランを変換するとプルトニウムになる。燃えないウランは全体の99.3%も占めているのだから、それを効率的にプルトニウムに変えてやれば、原子力の資源になる。」と言い出した。そして、彼らの描いた理想どおりになると、このウランの量は約60倍になると言っている。だが、60倍になったところで、ようやく石炭に並ぶくらいだ。「原子力が未来のエネルギー源になるということは決してない。しかし、石炭に匹敵するくらいの資源にはなるだろう。だからやる価値がある」と言っている。
まずウランを取ってきて濃縮する。マンハッタン計画では、広島原爆を作るために原子炉で燃えるように濃縮加工し、原子力発電所で燃やした。広島原爆で核分裂反応を起こした反応を原子力発電所で今やっている。だが、これをいくらやったところで、原子力はエネルギー資源にならない。そこで、プルトニウムを作り出すと言いだした。ウランを取ってきて、プルトニウム燃料加工を行う。加工したプルトニウム以上のプルトニウムを新たに作ろうと高速増殖炉用の燃料に再処理をして、プルトニウムをさらに加工する。これを核燃料サイクルという。最後には核燃料の廃棄物、ごみが出てくるので、いずれ処分しなければならない。この処理が大変難しいのだ。

高速増殖炉はすでに破綻
プルトニウムは地上には全く存在しない。普通の原子力発電所でも、燃えるウランを燃やしている限りプルトニウムが効率は悪いが出来ている。そのプルトニウムを再処理工場で処理し核燃料サイクルを回す。だから原子力は無限の資源になる、という内容である。そのための高速増殖炉は「もんじゅ」という原子炉であり、敦賀半島の最北端、琵琶湖の北のほうに敦賀という町にある。これが高速増殖炉の原型炉。1995年にここで原子炉を動かそうとしたが、はじめた途端に事故が起き止まってしまった。この原子炉は作ることが大変難しい。実はみんなウランの量は貧弱だということをはじめから知っていて、プルトニウムを作り出さなければ、原子力は資源にならないということをわかっていた。そのために世界中が高速増殖炉を作ろうとした。世界で一番初めに電気を起こした原子炉は、高速増殖炉。1940年代から既に作り始めた。
米国が始め、イギリスがやり、旧ソ連がやったりしたが全てがつぶれてしまった。日本は普通の原発で取り出したプルトニウムを、イギリスとフランスの再処理工場に送ってプルトニウムを約45トン取り出してもらってきた。長崎原爆が4000発作れる量のプルトニウムを、既に日本という国は懐に入れてしまっている。
高速増殖炉で使うといってプルトニウムを取り出したが、これを使うことができない。そんなことを世界が許すはずがない。世界は、日本という国は大変怪しい国だと思っている。何十年か前に、アジアで何千万人もの人たちを殺した。その国が、長崎原爆4000発分も作れるプルトニウムを持っている。そんなことは到底許せないという。そのため日本は使い道の無いプルトニウムというものを持たないという国際公約をさせられた。現在、熱中性子炉=サーマルリアクターという炉があるが、プルトニウムをそこで燃やすということをやっている。愚かな行為のために、さらに愚かな選択を迫られるという「悪循環」に陥っている。

憲法違反の原爆・原発をなくそう

原発推進の理由は核兵器
2011年3月11日、東電・福島原発で事故が起きた。4つある原子炉の既に3つまでが爆発してしまい、2号機だけは形はあるが、中身は原子炉が溶け落ちるという大変悲惨なことになっている。こんな原子力を何で進めるのか。未だに日本は原子力発電を続けようと言っているし、1兆円もの金をどぶに捨てて、高速増殖炉もやり続けると言っている。なぜこんなことをいつまでもやり続けるのか。
そのことをどうしても諦めきれない本当の理由は「核兵器」だ。普通の原子力発電所の稼動時にプルトニウムが出来ていて、それをイギリスとフランスに送って再処理し、日本がプルトニウムを懐に入れている。そのプルトニウムの組成は、ウランに燃えるウランと燃えないウランがあるように、プルトニウムにも燃えるプルトニウムと燃えないプルトニウムがある。普通の原子力発電所で出来てくるプルトニウムは、約7割しか核分裂をしない。残りの3割は核分裂をしないプルトニウム。
原爆を作る時、燃えるプルトニウムが90%、或いは93%くらいはほしいというのが常識。このプルトニウムでも原爆は出来ると実験で確かめられているが、やはり高性能の原爆は作りにくい。そこで日本は、これで4000発は確かに作れるが、「これではやっぱり嫌だ。もっと高性能な原爆を作りたい。」ということで高速増殖炉を作った。これを動かしブランケット=炉心を取り巻く部分に燃えないウランを入れていくと、プルトニウムに変わっていく。そこにはなんと98%の燃えるプルトニウム、超優秀な原爆材料が出来てくるのである。とにかく1基でも2基でも高速増殖炉を動かして、核分裂性のプルトニウム98%という途方も無い超優秀な核兵器材料を手に入れたいと彼らは思っている。だから、高速増殖炉を諦めないでやっていこうとしているということだ。

憲法とニーメラー牧師
日本国憲法9条は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」 と書いてある。ものすごい明確な文章。これをどうやって解釈できるかなんて、解釈の余地もない。軍隊なんて持たない。戦争も一切しないと書いてある。日本が平和国家で、軍隊を持っていないなんて誰がどういう面をして言えるのかと私は思う。
「ナチスがコミュニストを弾圧したとき、私はとても不安だった。が、コミュニストではなかったから、何の行動も私は行わなかった。その次、ナチスはソシアリストを弾圧した。私はソシアリストではないので、何の抗議もしなかった。それからナチスは学生・新聞・ユダヤ人と順次弾圧の輪を広げていき、その度に私の不安は増大した。が、それでも私は行動しなかった。ある日、ついにナチスは教会を弾圧して来た。そして私は牧師だった。が、その時はすべてがあまりにも遅すぎた。」 ドイツ福音主義教会のマルチン・ニーメラーという牧師の言葉である。
ニーメラー牧師という人は、先の戦争の時に初めは戦争に加担していた一人。それでも途中で戦争反対の活動を始めた。ニーメラー牧師はナチスに捕らえられて強制収容所に入れられ、危うく死ぬところだったが、戦争が終わる時にようやく救出されて生き延びた。彼は「収容所に入れられていたから何もできなかった」と言うとことはできる。だが、人が焼き殺されている時に、ニーメラー牧師はまだ自由な人間としてドイツにいた。弾圧のことをどこまで知っていたかは別にしても、ドイツで自由な人間として彼は生きていた。

歴史に眼を閉ざすな
歴史というものは、しっかり見つめ、現在そして未来につなげていかなければいけないと思う。原発事故として起きている問題も同じだと思う。私は今、全く自由な人間として生きている。警察から拘束されているわけでもない。刑務所にいれられているわけでもない。今、日本では原子力というものが進められ、大変な悲劇が福島で進行している。そんな悲劇をものともしないで、日本が原子力を進めるということは、要するに核兵器を持ちたいということだ私は思っている。それに何の抵抗もしないまま生きるということは、ニーメラー牧師が後悔したように、いずれ私自身も後悔しなければいけないと思う。私は、なんとか原子力の真の姿を多くの人たち伝えることで、今の原子力を止めたいと願うものです。

(2011年7月23日、堅田九条の会例会・大津市での「原爆・原発と憲法九条」についての講演より)

12/10 ユミ・ハラ・コークウェル ライブ決定(於:神戸BIG APPLE)


7月の小出裕章さんの集会でご一緒したユミ・ハラ・コークウェル Yumi Hara Cawkwell (イースト・ロンドン大学講師、作曲家、 即興演奏家)さんの待望のライブが神戸BIG APPLEにて
12/10(土)にあります。
マスターの近藤さんに声をかけておいた甲斐があったというもの。

昼はワークショップ!私はプレイしないのでだめだなこりゃ。夜しかないですね。
CD買いに、20時めがけて行かなきゃ!行けるかな?

12/10土 昼の部 ユミ・ハラ・コークウェル(p,voice)インプログレ・ワークショップ ¥未定
12/10土 夜の部 ユミ・ハラ・コークウェル(p,voice) LIVE!!  『 and_more.. 』 ¥未定

http://yumihara.exblog.jp/

9/19ムンク商会記念写真

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交差点前で渋滞していたときに沿道のカメラがばしゃばしゃ!
どこかのカメラマンさんの要望だったのか集合写真を撮るハメに。
スナップ写真でなきゃだめだろうに、と思っていたのですが、前列を歩いておられたオジサマが
「一緒に撮っていいですか?」
もちろん どうぞ!

Evacuate の意味を知らない君!そう、そこのあなた。
「避難する」です。
私もここで覚えました。

9.19山本太郎

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ムンク商会の会長はいつも私のことをこう言います。
「chitarritaさん 貴女って本当に小出さんのことがお好きなのね!」
もちろん
私「はいっ! 大好きです」

言っときますが、小出裕章さへの想いは神へのアガペーでありエロスではありません。
傘にサインしてもらったらそれで元気にパレードに参加できる原動力、お遍路さんにおける同行二人みたいなもんです。
チャーリーブラウンのお友達の天才的未熟児のタオルみたいなもんです。
えーっと何だっけ?
そう!「ライナスの毛布」ですねん。

そうやっていつも私のことをからかう会長ですが、太郎ちゃんに会うのは初めてらしいです。
私は二度目。7月のシアターセブンで拝聴しました。
おかげで、山本太郎と聞くとシルビーバルタンの♪アイドルを探せ♪が流れてきます。
♪ んーん らちゅねろくわれだしー ♪
La plus belle pour aller danser  

英語とドイツ語とポルトガル語しか読めないので、フランス語分かりませんが、小学生頃のナツメロです。

そうそう、会長は私をいつもからかうくせに、ご自分は男前の太郎ちゃんに握手してもらったそうです。ちくしょーっ いいなー

会長いわく「山本さんは相手の目を見て握手されるのよ

そうです そうです 
太郎ちゃんはそういう方です。
私は携帯のカメラ機能でやっと後ろ姿を撮ることができました。

ぺんぎん様
反原発の殿方は、なぜか皆姿がよろしいのですのよねーっ

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なんでシュプレヒコールまで文字起こしをせなんだ?
「子供を守れ、大人を守れ、命が大事」


[夕暮菜日記]9.19脱原発6万人集会、山本太郎のスピーチ文字起こし

http://blog.goo.ne.jp/midorimushi666/e/76a44a0f1405bda0e17f89d9b8a99b24

こんにちは! 
山本太郎です!
すごい!
すごい人ですね!
恐らく、ホントに命を守りたい、生きていたい、日本人の気持ちっていうのがここに集まっていると思います、今日は。
3.11以降、ボクの人生も大きく変わりました。
それはどうしてかっていうと、生きてたいって思ったんですよ。
生きてないとどうしようもないじゃないですか。
で、自分一人生きていてもしょうがないんです。
ここにいる皆さんにも、ここに来れなかった、もう世界中の人たちに、生きてないと意味がないんですよね。
今、ボクたちの目の前にはものスゴイ危機が迫って来てると思います。
とにかく今、生き延びるためには、原発を一斉停止するしかないと思うんです。
でもやはり、目の前の利益を守りたい者達にとって、その発言というのはものすごく目障りです。
でもボク達は違いますよ。
命がかかってますから。
テレビ新聞で本当の事っていうのは、ほとんど流れないと思います。
完全に、お金ですよね。
去勢されて、骨抜きにされていると思います。
メディアにとっての目の前の命よりも、やっぱりお金の方が大事なんですよね。
そして今、ここまで、いろんな事柄があからさになってきてハッキリしたこと。
それは、今の日本の政府は、人々の命を簡単に無視できる政府だということです。
今ボク達がこうやって集まってる間にも、被曝し続けている人たちがいます。
でもそのことをハッキリと伝えて、動きにできる政治家っていうのがどれくらいいるんでしょうか?
政治家たちに世の中を変えれる、っていうのは、もうない話だということがハッキリしたと思います。
一刻も早い高濃度汚染地域から、人々をサテライト疎開させる。
そして、原発を一斉停止させる。
もう替わりのエネルギーはあるんです。
電力は足りてるんです。
30パーセントのエネルギー、原子力からはいらない。
じゃないと、ボク達は生きてられない。
世界中にも迷惑がかかる。
とにかく生き延びたいんです、みんなで。
今できること。
先日、河野太郎さんとお話してきました。
そのときにおっしゃってました。
デモ、署名、政治家たちにとっては何も痛くない話だと。
たくさん集められた署名は、どこかの倉庫にブチ込まれるだけだと。
デモをしてたとしても、ちょっと目障りだなと、思われるだけだと。
一番必要なのは、人々の力なんですよね。
市民の力なんですよ。
それぞれの選挙区の代議士の事務所に行って、プレッシャーをかけることです。
今、その代議士がいったいどういう立ち位置にいるべきなのか、どういうつもりなのかということを、ハッキリさせて下さい。
でないと、この先はないと思います。
この先の日本は、核廃棄物の置き場になるだけだと思います。
今、大人がすべきことは子ども達を守る事。
そのためには行動を起こすことだと思うんです。
ぜひ力を貸してください。
よろしくお願いします!

9/19ハイロアクションの武藤類子さんの演説

9.19明治公園で、ほぼ実況でメールのやりとりをしていた賛同人のM氏が
「大阪の人間は 僕らは 鬼や」と書いて送ってきた時に福島の方がお話なさっていました。
とぎれとぎれにしか聞こえませんでしたので、私自身のためにもう一度。

[DAYSから視る日々] より転載
http://daysjapanblog.seesaa.net/article/226934666.html

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2011年09月21日
ハイロアクションの武藤類子さんの演説(於 9.19の明治公園集会)
9.19の明治公園の集会
福島県三春町から参加したハイロアクションの武藤類子さんの演説
(ハイロアクション福島原発40年実行委員会)
※Our Planet TVの録画を元に文字起こし

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福島の皆さん。どうぞ一緒に立ち上がってください。(会場から拍手。皆さん立ち上がる)
皆さん、こんにちは。福島から参りました。今日は、福島県内から、それから、避難先から、何台も
バスを連ねて、沢山の仲間と一緒にやってまいりました。初めて、集会やデモに参加する人も沢山います。それでも、福島原発で起きた悲しみを伝えよう、私達こそが、「原発いらない」の声をあげようと、声を掛け合い、誘いあってやってきました。(拍手)

初めに、申し上げたいことがあります。3.11からの、大変な毎日を、命を守るために、あらゆることに取り組んできたみなさん、一人ひとりを、深く尊敬いたします。それから、福島県民に、あたたかい手を差し伸べ、つながり、様々な支援をしてくださった方々に、お礼を申し上げます。ありがとうございます。(拍手)

そして、この事故によって、大きな荷物を背負わせることになってしまった、子どもたち、若い人々に、このような現実を作ってしまった世代として心から謝りたいと思います。本当にごめんなさい。

さて、みなさん、福島はとても美しい所です。東に紺碧の太平洋を望む浜通り、桃・梨・リンゴと、果物の宝庫の中通り、猪苗代湖と磐梯山の周りに黄金色の稲穂が垂れる会津平野。その向こうを深い山々が縁取っています。山は青く、水は清らかな、私たちのふるさとです。

3.11、原発事故を境に、その風景に、目には見えない放射能が降り注ぎ、私たちは被曝者となりました。

大混乱の中で、私たちには様々なことが起こりました。
すばやく張り巡らされた安全キャンペーンと、不安のはざまで引き裂かれていく人と人とのつながり。地域で、職場で、学校で、家庭の中で、どれだけの人が、悩み、悲しんだことでしょう。毎日毎日、いやおうなく迫られる決断。逃げる、逃げない。食べる、食べない。子どもにマスクをさせる、させない。洗濯物を外に干す、干さない。畑を耕す、耕さない。何かに物申す、黙る。様々な苦渋の選択がありました。

そして今、半年という月日の中で、次第に鮮明になってきたことは、「事実は隠されるのだ」「国は国民を守らないのだ」「事故は未だに終らないのだ」「福島県民は、核の実験材料にされるのだ」「莫大な放射能のゴミは残るのだ」「大きな犠牲の上でなお、原発を推進しようとする勢力があるのだ」「私たちは捨てられたのだ」

私たちは、疲れと、やりきれない悲しみに深いため息をつきます。
でも、口をついてくる言葉は、「私たちを、馬鹿にするな」「私たちの命を奪うな」です。

福島県民は、今、怒りと悲しみの中から、静かに立ち上がっています。子どもたちを守ろうと、母親が、父親が、おじいちゃんが、おばあちゃんが。自分達の未来を奪われまいと、若い世代が。大量の被曝に曝されながら事故処理に携わる原発従事者を助けようと、労働者達が。土地を汚された絶望の中から農民が。放射能による新たな差別と分断を生むまいと障害を持った人々が。一人ひとりの市民が、国と東電の責任を問い続けています。そして原発はもういらないと声を上げています。(「いらないぞー!」の声)
私たちは、静かに怒りを燃やす、東北の鬼です。私たち福島県民は、故郷を離れる者も、福島の土地にとどまり生きるものも、苦悩と責任と希望を分かち合い、支え合って生きていこうと思っています。

私たちと、つながってください。私たちがおこしているアクションに注目をしてください。政府交渉、疎開、裁判、避難、雇用、除染、測定、原発・放射能についての学び、そして、どこにでもでかけ、福島を語ります。今日は、遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。思いつく限りのあらゆることに取り組んでいます。私たちを助けてください。どうか、福島を忘れないでください。

もう一つ、お話したいことがあります。
それは、私たち自身の生き方、暮らし方です。私たちは、何気なく差し込むコンセントの向こう側を想像しなければなりません。便利さや発展が、差別と犠牲の上に成り立っていることに、思いを馳せなければなりません。原発は、その向こうにあるのです。

人類は、地球に生きる、ただ一種類の生き物にすぎません。自らの種族の未来を奪う生き物が他にいるでしょうか。
私は、この地球という美しい星と、調和した、まっとうな生き物として生きたいです。ささやかでも、エネルギーを大事に使い、工夫に満ちた、豊かで創造的な暮らしを紡いでいきたいです。
どうしたら、原発と対極にある新しい世界をつくっていけるのか、誰にも明確な答えは分かりません。
できうることは、誰かが決めたことに従うのではなく、一人ひとりが、本当に本当に本気で自分の頭で考え、確かに目を見開き、自分ができることを決断し、行動をすることだと思うのです。
一人ひとりに、その力があることを思い出しましょう。私たちは、誰でも変わる勇気を持っています。奪われてきた自信を取り戻しましょう。

原発をなお進めようとする力が、垂直にそびえる壁ならば、限りなく横に広がり、つながり続けていくことが、私たちの力です。
たった今、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。見つめ合い、お互いの辛さを聞き合いましょう。涙と、怒りを許し合いましょう。今つないでいる、その手のぬくもりを、日本中に、世界中に広げていきましょう。

私たち一人ひとりの背負っていかなければならない荷物が、途方もなく重く、道のりがどんなに過酷であっても、目をそらさずに支え合い、軽やかに、朗らかに生き延びていきましょう。

ありがとうございました。
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9/20東京新聞「さようなら原発」集会・デモ 密着ルポ ---ムンク商会登場

なんと!東京新聞にムンク商会が載っているのを見て驚きました。
ムンク商会というのはこの時に行動を共にしたムンクのお面と黒マントの集団。
このお面にしたらどうかという団長(会長というべき)の慧眼に脱帽。

多分、一ヶ月前にこんなこともあろうかと思って東京新聞を取り出したんでしょう。
予知能力ではありませんが虫の知らせというべきもので「これはあなたの新聞です」と東京新聞がささやいたことは確かですが。これってお買い物のときにも起こるから困るんです。衝動買い。
[日々坦々]さんのところでテキストを起こしてくれていました。いつもありがとうございます。
(一日待ったら読めるので最近は有り難味がへりましたが)

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「さようなら原発」集会・デモ 密着ルポ
(東京新聞「こちら特報部」9月20日)

 「原発いらない」「子どもを守れ」



-シュプレヒコールが都心の空の下に響き渡った。作家の大江健三郎さん、ルポライターの鎌田慧さんらが呼び掛けた十九日の「さようなら原発5万人集会」とデモ行進。予想を上回る六万人の市民が集結し、「脱原発」を後退させた野田政権に「ノー」の民意を突き付けた。その一部始終を。 (佐藤圭、小倉貞俊)

 11時30分 集会場の東京・明治公園。勤労者の音楽団体「日本音楽協議会」メンバーが会場隅で、デモで歌う脱原発ソングを練習。常任幹事の坂口美日さん(51)は「自分たちの思いを表現したい」と意気込む。

 12時25分 女子中高生アイドルグループ「制服向上委員会」がステージ上でサウンドチェック。「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」を披露すると、会場が一気に華やぐ。

 12時45分 福島県からの参加者が入場。のぼり旗には「怒 福島隊」「子どもを守れ!」の文字。「小中学生の孫三人は、今も外で満足に遊べない」と福島市の主婦(65)。

 13時5分 沖縄音楽をルーツに活動するグループ「寿」がオープニングコンサート。

 13時25分 約四十人の画家やデザイナーがステージ上で、自作の脱原発ポスターを掲げる。

 13時30分 開会。呼び掛け人らが五分間ずつ発言する。トップバッターは鎌田慧さん。高揚した様子で「集会を成功させることができた。これまでの集会の一つの結節点であるとともに、これからの出発点だ」。

 13時40分 大江健三郎さんも脱原発を主張。やり玉に挙げたのは、石原伸晃・自民党幹事長の発言だ。
 「イタリアの原発に関する国民投票で反対が九割を占めたことに対し、集団ヒステリー状態になるのは心情として分かると言った。イタリアでは、人間の命が原発により脅かされることはない。しかし日本人は、これからさらに原発の事故を恐れなければならない。私らはそれに抵抗する意志を持っているということを、想像力を持たない政党幹部や、経団連の実力者たちに思い知らせる必要がある。そのために何ができるか。私らには民主主義の集会や市民のデモしかない。しっかりやりましょう」

 13時45分 経済評論家の内橋克人さんは、超党派の地下式原発推進議連の動きについて「核武装が可能な潜在力を持ち続けようとする政治的意図だ」と指摘する。
 14時 ドイツの環境団体代表のフーベルト・ヴァイガーさんが「脱原発はできるかできないかではなく、政治的にやるかやらないかの話だ」。

 14時10分 俳優の山本太郎さんが登壇。「3・11以降、僕の人生も変わった。生きたいと思った。自分一人で生きてもしょうがない。世界中の人が生きていかなければならない。それには原発を一斉に停止するしかない」。山本さんの音頭で、会場中が「原発反対、子どもを守れ」のシュプレヒコール。

 14時20分 「ハイロアクション福島原発40年実行委員会」の武藤類子さん(58)が涙をこらえながら、原発事故から半年を「逃げる、逃げない、食べる、食べない…。日々いや応なしに決断を迫られた」と振り返る。

 14時25分 明治公園からのデモは、三ルートに分かれて代々木公園方面に向かう。記者は、明治公園南側~代々木公園(NHK側)までの約四キロのルートに参加。先ほどまでの好天が曇り空に変わった。

 14時35分 大江健三郎さんら呼び掛け人を先頭に、デモが出発。ところが、殺到した報道陣が脚立を並べて取り囲んだため、行列が進まない。「危ない」「前を開けて」と怒号が飛び交い、カメラマン同士の小競り合いも。主催者が拡声器で「五万人が控えてるんですよ」と声を張り上げる。

 14時50分 先頭車両が「さよなら原発、命が大事~」とシュプレヒコールを上げ、ようやく盛り上がり始める。千葉県銚子市から長男(2つ)と参加した主婦(40)は、「この子の将来のためにも、何かできないかと思って参加しました」。

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 15時 外苑前の交差点で、信号待ちのため先頭集団と後続が切り離され、五十メートル以上の距離が開く。参加した五十代男性が警備の警官に「離しすぎだろう」とぼやく。

 15時20分 再び太陽が照り始め、汗が噴き出す。青山通りでは、いくつにも寸断された集団が思い思いのシュプレヒコールを上げ、盛り上がりはまちまち。沿道では手を振る通行人もいる一方、無関心層も。男子高校生二人は顔を見合わせ「こんなことやっても、何も変わらないんじゃん」。

 15時35分 先頭集団が表参道に入る。原発事故で福島市からさいたま市に転居を余儀なくされた小学五年、木村萌々さん(10)は、弟(6つ)とプラカードを掲げながら「みんな温かく応援してくれてうれしい」とにっこり。

 15時45分 神宮前交差点で、日の丸を掲げた和服姿の集団が「今日は敬老の日。お年寄りをねぎらう日です」と街頭演説を始める。デモのシュプレヒコールと競り合う格好になり、警備の警官が慌てて演説を制止。集団の一人は「別に邪魔したわけじゃないです」。

 16時10分 山手線のガードをくぐり、東京電力のPR館「電力館」だった建物を通過。ハロウィーンの魔女に扮(ふん)した五十代女性は「よくもずっと、電力館はうそばっかり宣伝してきたものですよね」とあきれ顔だ。

 16時45分 外苑前の交差点で、山本太郎さんが、信号をわたってくるデモ参加者一人一人に握手をしていた。山本さんは「ここは信号待ちが長いので、疲れている人を励まそうと思って。でも、僕も勇気づけられてますよ。頑張ります」。

 16時55分 秩父宮ラグビー場前では、ちょうど終了した明治大-筑波大戦の観客があふれ出て、混雑していた。デモの参加者は「ひとごとじゃないです。参加しましょー」と呼び掛けていた。

 17時5分 このルートの最終集団がようやく出発。最後尾にいた千葉市の自営業男性(49)は「二時間ぐらい待って少し疲れたが、気合は十分。うそを塗り固めても制御できなかった原発なんて、全く必要ない」と怒りをにじませた。

 18時30分 最終集団が代々木公園に到着し、このコースのデモは終了。辺りは真っ暗だ。主催メンバーの高田健さん(66)は「予想以上の参加者で、沿道の人のムードも良かった。一人一人の『原発反対』への思いが、確実に広がった気がします」


<デスクメモ> 野田首相に申し上げたい。あなたは国民に選ばれた首相ではない。それを自覚するならば、民意の行方にこそ神経をとがらせるべきだ。「六万人」を「たかが」と笑い飛ばすなら、民主主義の国の政治家を名乗るのはやめた方がいい。民の声に耳を澄ませて、もう一度、あなた個人の原発観を語ってほしい。 (充)

9/19Japanese march against nuclear power(豪レイトライン)

ムンクを探して海外情報を求めました。
インタビューまでされたのに新華社通信には載っていなかった。ぷんぷん。
オーストラリアのレイトラインの報道はどこも翻訳がなかったので、EMの帽子を被った早耳で情報通のムンクのお姉さんに翻訳してもらいました。ご本人は「荒訳」と申しておりました。

http://www.abc.net.au/lateline/content/2011/s3321265.htm

Japanese march against nuclear power

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Australian Broadcasting Corporation

Broadcast: 19/09/2011

Reporter: Mark Willacy

An estimated 60,000 people have marched in Tokyo in the largest anti-nuclear demonstration since the Fukushima nuclear meltdown six months ago.

Transcript
ALI MOORE, PRESENTER: An estimated 60,000 people have taken to the streets of Tokyo in the the largest anti-nuclear demonstration since the Fukushima nuclear meltdown six months ago.

They're calling on the Japanese government to end what they describe as their country's "addiction to nuclear power", but the new prime minister has signalled that Japan needs nuclear energy.

Earlier the former prime minister revealed that the evacuation of 30 million people from Tokyo and surrounding areas was contemplated in the days after the meltdowns.

North Asia correspondent Mark Willacy reports from Tokyo.

MARK WILLACY, REPORTER: It was one of those rare occasions when there were more protesters than police at a Japanese anti-nuclear demonstration. The organisers had hoped 50,000 people would turn up. In the end, they say 60,000 joined the rally. They came from all parts of the country - including from the fallout zone in Fukushima.

TOSHIKAZU KOGURE, FUKUSHIMA RESIDENT (translated): This protest is an expression of Japanese public opinion. And what we are saying is that we don't need nuclear power plants. We have to change to renewable energy.

MARK WILLACY: Also among the crowd was a group of fashion designers as well as a homeless association, celebrities, office workers, and housewives. And at times, the speeches brought many to tears.

KEIKO KIMIGAKI, PROTESTER (translated): The Fukushima disaster has made all Japanese very worried. We have to find new energy sources and stop our reliance on nuclear. That's why 60,000 people have gathered here.

MARK WILLACY: After rallying and chanting in a Tokyo park, the protesters hit the streets. And they kept on coming. Their march stretching back over several city blocks.

It's taken six months but the anti-nuclear movement here has finally gathered some momentum. This is the largest demonstration since the meltdowns at Fukushima. But the challenge for these demonstrators will be maintaining this momentum, especially with the new prime minister here in Japan, who signalled that he's keen to retain nuclear energy.

In fact, Yoshihiko Noda will tell the United Nations later this week that Japan and its economy must continue to rely on nuclear energy - for the time, being at least.

His predecessor wanted to phase it out. And, now free of the burden of office, Naoto Kan has revealed that, as prime minister at the time of the disaster, he contemplated the worst case scenario; that is, the evacuation of 30 million people from Tokyo and the surrounding area. In the end, it didn't come to that, but Mr Kan said if it had, Japan would not have been able to function as a state.

Some would argue that this state is finally functioning as it should, with tens of thousands publicly questioning the policies of their government and the competence of the nuclear companies.


[ムンク商会による荒訳]
レイトライン 2011・09・19

日本の脱原発パレード

ABC(オーストラリア放送)
レポーター マーク・ウィラシー
6ヶ月前の福島原発事故以来、大規模の脱原発パレードが東京で行われ、推定6万人が参加した。

(プレゼンター アリ・ムーア)6ヶ月前の福島原発事故以来、最大規模の反原発パレードが東京で行われ、推定参加者6万人が東京の通りを練り歩いた。

彼らは、日本政府に対し、彼らが表現する、この国の「原発依存」をやめることを要求している。しかし、新しい首相は、日本は核エネルギーが必要であることをほのめかしている。

初期段階において、前首相はメルトダウン後、数日で東京及び周辺地域の3千万人を避難させようとしていたことを明らかにした。



北アジア特派員 マーク・ウィラシーの東京からのリポートです。

(マーク・ウィラシー)今回は、日本の脱原発パレードにおいて、参加者数が警官の人数を超えるという非常に珍しい事態です。主催者は5万人の参加を見込んでいましたが、最終的には6万人が参加したと発表しました。参加者は、福島の汚染地域からも含め、全国から集まりました。

(インタビュー)小暮トシカズさん:この抗議は、日本市民の意見表明です。私たちが言っているのは、原発はいらないということです。再生可能エネルギーに変えていかなければならないと思います。


(マーク・ウィラシー)また、群集の中には、ファッションデザイナーの一団と同様に、ホームレス団体、有名人、会社員、主婦などさまざまな人々がいました。

集会のスピーチが時折、多くの人々の涙を誘っていました。


(インタビュー)キミガキケイコさん:福島の惨事は多くの日本人を不安に陥れました。私たちは新しいエネルギー源を見つけ、核への依存をやめなければなりません。だからこそ6万人もの人がここに集まったのです。


(マーク・ウィラシー)明治公園で集会、そしてスローガンを叫んだ後、参加者は通りに繰り出した。そしてその列は途切れることなくどんどん続いた。その列は、いくつかの街をまたぐほど伸びていった。

6ヶ月かかったものの、脱原発運動は最終的に勢いづいた。これは、福島メルトダウン以降、最大規模のパレードだが、この勢いを維持するには、参加者たちの挑戦が求められるだろう。特に、ここ日本の新しい首相が、核エネルギー維持を望んでいる状態では。

事実、野田良彦首相は、今週後半、国連で少なくとも当面の間は、日本とその経済において核依存し続けることが必要だと述べようとしている。

彼の前任者は、核の段階的廃止を望んでいた。今や、官邸から自由の身になって、管元首相は、大惨事の際、首相として、最悪の事態のシナリオを描いていた:すなわち東京及び周辺地域の3千万人を避難させようとしていたことを明らかにした。結果的にそうはならなかったが、もし、そうなっていたら、日本は国家として機能しなくなっていただろう。

何万人もの人々が公に政府の政策や原発企業の能力に疑問を呈して始めて、この国はやっとあるべき方向へと動くと主張する人々もいる。

電気事業会計規則等の一部改正(案)への意見

ムンク商会のお姉さんからメールがきました。昨夜ギリギリに知ってる方にお送りしましたが時間切れ。このお姉さんは地獄耳の情報通でバズビー情報も戴いたんでしたっけ。

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転送メールが回ってきました。電気料金の改定についてパブコメを募集してるならもっと公に宣伝するべき!姑息なやり方が見え見えです。
締め切りまであと数時間しかありませんが、一言でも「反対」の声を送ってもらえると嬉しいです。 

***

資源エネルギー庁が、電気事業会計規則を改正して、電力会社が今回の原発事故の損害賠償金のために支払ってプールする「原子力損害賠償支援機構負担金」を営業費用にしようとしています。
実現すると、現行の総括原価方式を前提にすれば、それに各電力会社の利益を上乗せしたものが電気料金となるはずで、国民・消費者が賠償金を負担させられた上に、それに各電力会社の利益まで上乗せされて電気料金をとられることになります。

具体的には下記概要の「2.改正内容」の(2)の部分です。
とんでもない改正だと思います。賛同される方は、パブコメに反対意見を集中してください。
本日9月22日までなので、短くても一言でも!

★送り先
 qqmfbe@meti.go.jp
 経済産業省電力・ガス事業部電力市場整備課
★メールの件名を「電気事業会計規則等の一部改正(案)への意見」
 としてほしいようです。


http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=620111033&Mode=0

電気事業会計規則等の一部を改正する省令(案)について

平成23年8月
経済産業省
電力・ガス事業部
電力市場整備課

1.改正の主旨
原子力損害賠償支援機構法(平成23年法律第94号。以下「支援機構法」という。)の施行に伴い、電気事業法(昭和39年法律第170号)に基づき定められている、電気事業会計規則(昭和40年通商産業省令第57号)、一般電気事業供給約款料金算定規則(平成11年通商産業省令第105号)、一般電気事業託送供給約款料金算定規則(平成11年通商産業省令第106号)、卸供給料金
算定規則(平成11年通商産業省令第107号)及び一般電気事業部門別収支計算規則(平成18年経済産業省令第3号)について、所要の改正を行う。
2.改正の内容
(1)電気事業会計規則の別表第一(勘定科目)に以下の科目等を新設する。
①原子力損害賠償支援機構負担金営業費用に支援機構法第38条第1項に規定する負担金を整理するため「原子力損害賠償支援機構負担金」の項目を設ける。なお、「原子力損害賠償支援機構負担金」は一般負担金及び特別負担金に区分して整理する。
②原子力損害賠償支援機構資金交付金
特別利益に支援機構法の規定に基づく原子力損害賠償支援機構からの資金交付金を整理するため「原子力損害賠償支援機構資金交付金」の科目を設ける。
③未収原子力損害賠償支援機構資金交付金
固定資産に原子力損害賠償支援機構資金交付金の未収金を整理するため「未収原子力損害賠償支援機構資金交付金」の科目を設ける。
(2)一般電気事業供給約款料金算定規則、一般電気事業託送供給約款料金算定規則及び卸供給料金算定規則において、原子力損害賠償支援機構負担金(特別負担金を除く。)を料金原価(営業費)に追加する改正を行う。
(3)その他所要の改正を行う。
上記(1)及び(2)の改正に伴う技術的な改正及び様式等の改正を行う。
3.施行日
平成23年9月下旬を予定

2011/09/19さよなら原発集会=明治公園



うちのご近所でパレードへ行ってきました。
団長さんからメールが届きましたので、無断で(をいをい!)掲載します。
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9.19さよなら原発集会=明治公園に 同じ住宅の主婦5人で行ってきました。
私の住んでいるところは 100世帯ほどの集合住宅ですが  そこの主婦たちで3.11の衝撃このかた、井戸端会議風に 原発について情報交換をしたり、勉強したりしてきました。
さよなら原発5万人集会の呼びかけを聞いて 5万人分の1になって、反対の意思表示をしようということになりました。

思いがけずに、ムンクに黒マント姿でスローガンを書いて訴えた5人組が アサヒ・コムの動画に登場しました。ご覧いただければ幸いです、ムンクのお面をかぶっております。内1名は視覚障害者で介助者とともに、最後まで歩きとおしました

http://www.asahi.com/national/update/0919/TKY201109190278.html


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とてもフォトジェニックだったらしく、5人揃って写真撮らせてという希望はちょいちょいあり、一緒に撮らせてとか何組かありました。

追加 独SPIEGEL ONLINE FOTOSTRECKE
Demo in Tokio: Aufschrei gegen Atomkraft
http://www.spiegel.de/fotostrecke/fotostrecke-73026.html
Aufschrei gegen die japanische Atompolitik: In Tokio sind rund 60.000 Menschen gegen die Nutzung der Kernkraft auf die Straße gegangen.


仏ルモンドも取り上げてます
http://www.lemonde.fr/planete/portfolio/2011/09/19/fukushima-grande-manifestation-antinucleaire-a-tokyo-pour-dire-plus-jamais-ca_1574418_3244.html

こんな感じです。


みやぎ脱原発 風の会

シアターセブンで貰った一枚のチラシ、小出さんの「走馬燈のように巡る思い出」が思わぬ波紋を広げました。

私は盲目の隣人用にテキスト化して、ここでひっそり自分用に読んでいただけなんですが、mogusaさんに投稿を呼びかけられちゃいました。
そうすると無断じゃいけないし、一応下さった劇場のプロデューサ(今井一氏のこと)に問い合わせたら「どうぞ、ご自由に」と言われましたが、でも、その時点で機関紙『鳴り砂』(女川原発訴訟支援連絡会議)は、現在「みやぎ脱原発 風の会」にて受け継がれていることが分っているので、ご連絡がてら賛助会員になりました。
それで、何で代表につながったかというと、さっきのプロデューサが9/11に一緒にお酒飲んでいた相手が篠原弘典氏だとtwitterでわかり、「エーっ 篠原さん!知ってますよー 小出さんの先輩のとび職の活動家!」と思い出したんです。
小出さんの今年の著書の中の「原発のウソ」か「原発はいらない」のどちらかにイニシャルだけで載っていた方です。

つい最近、この国の政府にも申し入れをなさってます。

小出さんのチラシ[走馬燈のように巡る思い出]9/13 Forum7 #5『続・原発「安全神話」溶融』

2011年9月13日に行われたForum7 #5『続・原発「安全神話」溶融』にて

シアターセブン

いろいろ頂戴したチラシと共にこのような小出さんの文章がありました。
若き日の小出青年の姿が見えてまいります。
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走馬燈のように巡る思い出  
                    京都大学原子炉実験所 小出裕章

 1970年10月23日、女川原発反対期成同盟による初めての大きな集会が聞かれた。振り返れば、すでに35年もの歳月が流れている。原子力平和利用の夢に燃え、原子核工学科に在籍していた私は、学問の意味と自分自身の生き方を大学闘争によって突きつけられていた。大学の中で原子力を推進する教官と論争し、何故、仙台ではなく、ろくに電気も使わない女川に原子力発電所を建てるのか、今となっては余りに明白な問への答えを探した。その私が、自分の選択の誤りを認め、原子力を廃絶させるべきものとして踏み出したのが、その集会であった。
 宗悦さんの紹介で眺湾荘(遠に解体されて今はもうないと聞く。当時もぼろぼろの長屋であった。私にとっては、名前すら懐かしい)に部屋を借り、鰹節を煮る工場の匂いをかぎ、港で荷揚げされる魚の群れを見ながら、仙台と女川での二重生活を過ごした。貧しかった。でも、楽しく充実した日々であった。コバルトラインなどもちろんなかったし、私たちにはもともと車もなかった。朝、眺湾荘を出、「のりひび」 というビラを抱え、五部浦沿いの道を高白浜を皮切りに、原発予定地に向かって歩いた。横浦、大石原、野々浜、飯子浜、塚浜、そして小屋取。集落に続く道を海辺に下り、一軒一軒ビラを撒いては、原発の危険を訴えた。嫌がられた家もあれば、「もう海は駄目だ、息子には町で働いてもらいたい」という漁師もいた。小屋取の急な坂道の上の家には、目の不自由な老婆がいた。話し相手もいなかったのか、ビラを撒く私たちを楽しみに待っていてくれた。ビラを撒き終わり、薄暗くなった頃、来た道をまたとぼとぼと女川に戻った。秋には、途中の道で咲いていたコスモスを折って持ち帰った。つい先日久しぶりに訪ねた阿部隣のおばさんも、そんなことを懐かしく覚えていた。
 その頃、女川の町から五部浦の道沿いに原発予定地まで、送水管が敷かれることになった。私たちは工事を阻止すべく、ユンボで掘られた穴にたびたび飛び込んで工事を遅らせた。その中で逮捕される仲間が出、私たちは私たちの行為の正当性を主張するために、あえて原子力問題を正面に掲げて裁判を受けて立った。伊方裁判もまだ始まっていない時代であった。日本で初めて原発の安全性を正面から問う裁判であった。東京水産大学の片岡実さん、早稲田大学の藤本陽ーさん、東大原子核研究所の水戸厳さんたちが快く証人になって私たちを支えてくれた。その水戸さんも今は亡い。私が恩師と思う本当に数少ない人の一人であった。 でも、すべてが懐かしい。もし時間を逆さに戻すことができるなら、唯一あの頃に戻りたいと思う私の青春のひとときである。
 私が女川に通っていたのは、今の職場に来る前の1974年の3月までであった。その後も、後に続いてくれた仲間違が、「のりひび」を出し続け、たしか100号まで、行ったのだったと思う。しかし、条件闘争へ転換した漁協は、100億円とも言われた補償金で原発を容認してしまった。それでも諦めない住民はもちろん残ったし、仙台・石巻の住民たちとともに裁判を起こして抵抗を続けた。その中で「鳴り砂」は出された。
私は、女川や伊方の裁判に関わる中で、原子力に関するかぎり、こちらから裁判に打って出ることは、むしろ私たちの力を弱めると確信していた。渡会さん、阿部康則さんもすでに亡くなってしまったが、彼らや原告の漁師達からたびたび証人として裁判へ出廷するよう頼まれたが、受けられなかった。「鳴り砂」に関わっていた人々は恐らくがっかりしたであろうし、頑な私に失望したに違いない。
 東大闘争で敗れた安田講堂の壁には、以下のように書かれていた。

   力及ばずして、倒れることを辞さないが、
   力尽くさずして、挫けることを拒否する。

 私は、これからも私らしく原子力開発に抵抗したい。願わくば、そんな私のわがままを許して欲しい。裁判は「鳴り砂」を出し続けた人たちにとっても、明るさの見えない苦しい闘いであったと思う。私にとっても残念なことに、裁判は私の予想通り原告敗訴となった。それでも諦めない人々が「鳴り砂」を出し続け、この7月で通巻200号になったという。長い道のりにただ頭が下がる。ご苦労様でした。

「鳴り砂」第201号(2005年9月)

(chitarrita注)

この機関紙『鳴り砂』(女川原発訴訟支援連絡会議)は、現在「みやぎ脱原発 風の会」 http://miyagi-kazenokai.com/ にて受け継がれておられます。

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以下、取材に当られた今井氏の9/12のtwitterより

WarszawaExpress: 仙台入り。市民Gみんなで決めよう「原発」国民投票の説明会のあと、小出裕章さんの東北大学時代の先輩、篠原弘典さんと一緒に、小出さんの学生時代の下宿先「山屋敷」の大家さんに会いに行く。これはAERA「現代の肖像・小出裕章」の取材。明日は女川へ足を運び、阿部宗悦さんにお目にかかる。

WarszawaExpress これから女川原発、そして、阿部宗悦さんが避難している女川第一小学校へ。
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東海第2原発の再稼働中止と廃炉を求める署名

友人から以下のお知らせをいただきましたので、もしよろしければご協力をお願いいたします。

☆以下転送文です

福島原発事故は未だ余談を許さない状態にあります。

我が茨城県には関東唯一の原発があります。
この東海第2原発は、今回の津波によって、
非常用ディーゼル発電機3台のうち
2台が起動不能になり、循環ポンプもあと40cmで水没という
ギリギリのヤバイ状態でした。

日本電源開発は、地震によって傷ついたタービンを修復し、
再稼働を計画しています。

福島第二原発の教訓が全く生かされておりません。

そこで、東海第2原発の再稼働中止と廃炉を実現すべく
皆様に署名のご協力をお願いいたします。

こちらになります。
東海第2原発の再稼働中止と廃炉を求める署名
http://www.shomei.tv/project-1789.html

闘病日誌 9/10クレオ大阪中央小出さんの集会

先週は月曜と木曜日が一番しんどかったようです。
歯医者で仰向けにされて、途中で息ができなくなったり、もう歩くのもかったるくて駅から自転車漕いでいる最中に咳き込んで息ができなくなってしまいました。
その時は誰も通らないあぜ道みたいな田舎道で助かりました。
どうも吸入薬のタイミングがわかりません。効いてんだか効いてないんだか。

死ぬときに息がつまるのはこういうことだろうなとつい思ってしまうんです。
ご近所の奥様の予言もあるし。喘息で救急車の中でなくなられた方のお話とかなさるし。

咳き込んでしんどい「何もしたくない」という引きこもり状態なのに、そういうときにかぎって何かあります。
急にふって沸いたようになんかとんでもないものを仰せつかりそうになり、とっさに「できません」が出てしまいました。
どうも私は根性も覚悟もないらしいです。誰か他の人がんばってくれって感じ。
駅のホームで突き飛ばされて欠けたのは歯だけではなく、気持ちの部分が大きいみたいです。

それじゃいけないと思って、いけるかどうかわかんない、行けたら行こう程度に思っていた(小出さんごめんなさ)集会に土曜に行ってこれました。

なんで行こうかという気持ちになったかというと、ぺんぎんさんが一生懸命上関町の町長選挙の応援をなさっておられカンパの支援先が私のルートで探っていったら分かり(今まで何かを探すことなんてできなかったのに)
それじゃ、いけるかもしれないという気がしてクレオ大阪中央の小出さんの集会へ行ってこられました。

映像でなくナマ小出だとやっぱり違う!
とにかく息ができるんだから、がんばらなきゃって気分になりました。

出さんのお話で今までとちょっと違うところは「人・シーベルト」の単位と計算を何度も繰り返されたことでしょうか。
何人月で仕事するみたいなもんでしょ。別に難しくもないけど。
それくらい分からなかったらゴフマンの「人間と放射線」読もうと思いません。

私の一番知りたかったもうこのような講演会が3月で終了かということについては
鬼も笑うという来年4月以降については、今はお約束できませんが年があけたら考えます」と仰られ、もう嬉しいのなんの!
それで元気がついたような気がしました。

質疑応答では教育関係者の多さに驚きました。中学、高校、大学まで。
そういえば、また「私の恩師が海暖め装置を・・・・」と仰っておられたので、困ったなぁ。いやいや。こちらのこと。

著書にサインしてもらいたがる人の列に並び
この前カサにサインしていただきました」と申告しましたら、
小出さんはにっこりと微笑まれて「そうでしたね」と宴会の一件を覚えておいででした。
私のようなアホはいないようです。

小出さんとお話しただけで咳は治まっているような気が。
まさにアラゴルン。王の手は癒しの手に違いないですね。
明日は難波のパレードに出てみようかという気になるのが不思議。当初の計画では寝てるはずだったですけど。

さて、私が8/6に広島へ行ったとご近所の奥様が仰られたことで、私にも送られてきた「むらさきつゆくさ」=山戸さんの日記を10年来連載=という機関紙を先月頂戴したことがあります。その中に上関原発の支援先が載っておりました。

「げんぱついらん!下関の会」
誠実に20数年間祝島を支え続けて来た市民グループです。
「山戸さんの選挙カンパ」

と指定したらしっかり届けてくれるようです。
郵便局の振替番号 01580-1-19078「げんぱついらん!下関の会」。(代表者は沢村さん)。
長年誰も祝島に注目もしなかった頃から 山戸さんを支えて運動してきたグループ。
このグループがなかったら原発できていたかもしれないのですって!

9/5「3月下旬 子どもの甲状腺検査時期遅く基準疑問(東京新聞/核心)」全文!!

東京新聞がこんなに待たれたのも久しぶり。
素人だってヨウ素の半減期が8日だと知っているのに、この国の政府はわざわざあとになってから検査してアホちゃうかと思ったもんです。
それにしても、あぁ歯が痛い。ずんずん。
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9/5「3月下旬 子の甲状腺検査」東京新聞(全文)

福島第一原発の事故発生後の三月下旬、政府が周辺市町村の子どもに対して行った甲状腺被ばく調査の結果が、「実態を反映していない」との指摘が専門家から挙がっている。調査時期の遅れや、周辺の放射線量などが影響しており、不安を取り除くはずの検査が逆に疑念を生む結果になっている。(永井理)

[雑音]
 検査は三月二十六日から三十日にかけて、福島県のいわき市、川保町、飯舘村で計千八十人の子どもを対象に実施された。
 検査では、ヨウ素剤服用の目安となる100ミリシーベルトの被ぱくを基準値(スクリーニングレベル)とした。それを超えると放射線医学総合研究所(千葉市)に報告し詳しい検査を受けることになっていたが、該当者はいなかった。
 検査は、喉元に測定器を当てて甲状腺から出るガンマ線を測る。測定器が毎時0.2マイクロシーベルト(1マイクロシーベルトは千分の一ミリシーベルト)を指したとき、甲状腺に取り込まれた放射性ヨウ素がすべて崩壊するまでに累計100の被ぱくをすると推定される。
原子力安全委員会によると、最も高い子どもでも測定値は0.1マイクロシーベルトだった。検査場での空間の放射線量は毎時0.1~0.2マイクロシーベルトだった。子どもの甲状腺から出る放射線量と大きく変わらないため、この”雑音”の中で、微妙な放射線を測るのは簡単ではなかったという。
 主な問題点は、基準値が適切であったか、調査時期の遅れ、検査した数や地点が十分だったかの三点だ。

「異議]
 イスラエルの医療被ばくの記録によると甲状腺では100ミリシーベルトを上回るとがんの増加が認められる。一方、チェルノブイリ原発事故後のドイツとベラルーシなどの研究では、50ミリシーベルトを超すとがんが増える、としており、このレベルの被ばくの影響は明確ではない。
 京都大原子炉実験所の高橋千太郎教授は、調査は、100ミリシーベルトの基準値設定を「原子力防災指針では甲状腺被ぱくが100~500ミリシーベルトと予想されるとき屋内退避。これを参考に考えても検査の基準としては妥当だ」と話す。
 それに対し、事故初期に内閣官房参与を務めた東京大の小佐古敏荘教授は「被ばくの基準値は100ミリシーベルトでなく10~数十ミリシーベルトのがよかったが、実際は細かな測定が難しかった」と話す。
 調査は、原子炉建屋が水素爆発を起こし、大量の放射性物質を放出した時からほぼ二週間後。ヨウ素の半減期は八日で、すでにかなり減っており、測定精度が落ちるという。高橋教授は、「一般的に言って、もう少し早い時期に測定できればよかった」と指摘する。

「実態」
 千八十人の検査では数値を積極的に公表し必ずしも実態を映し出さない、との指摘もある。例えば、三月二十一日に原発の南側に流れたとされる放射能雲で、福島県広野町では最大で一立方メートル当たり5600ベクレルのの放射性物質が観測された。八月に開かれた日本保健物理学会のシンポジウム
で、若手研究者グループが「この最大値が一日続いたとすれば、幼児の甲状腺は90ミリシーベルト以上の被ばくをする」との試算を発表した。こう考えると「100ミリシーベルト以上の被ばくを受けた子どももいるのでは」と疑問を投げかける。
 グループメンバーの一人は「検査結果が全体を代表しているのか疑問。安全委が、甲状腺被ばく量の具体的な数値を積極的に公表しないのも、そのせいではないか」と厳しく批判する。
 実態をつかむことで過剰な心配を取り除くはずだった検査は、新たな不安を招いている。グループは「迅速で合理的な検査手法をつくり上げるべきだ」と提言している。

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[甲状腺被ばく検査]
放射性ヨウ素を甲状腺にどれだけ取り込んだかを測定する検査。
放射線測定器を喉に当てて甲状腺から出てくるガンマ線の量を測る。
人一人の被ばく量を精密に測るのが目的ではなく、ヨウ素剤の服用基準とされる100ミリシーベルトの被ぱくを受げた子どもがいないか探すのが目的。

被ぱくの検査で基準値を超えると、詳細な検査が待っている
ヨウ素を含んだちりなど
計測器・・・毎時0.2マイクロシーベルト以上を示すと法医研に報告

朝日がん大賞に毒医山下俊一! 

「小出裕章(非公式)まとめ」で避難ごうごうの朝日新聞の件、ご近所の奥様にお聞きしてみたらご存知ないとのことで調べてみました。
何をトチ狂って朝日新聞がこんな毒医に賞を授けようとしているのか、どういう勢力の後押しがあるのか、福島というだけで診察拒否する医者が増えているのもそういう関係なのか?
この件で朝日新聞を止める方が続出している様子。さぁ東京新聞にシフトしよう!

そういえば、福島県放射線健康リスクアドバイザーでもあるらしい。
なんでこんな安全をあおる人が?わけわからん。


朝日新聞 2011年9月1日
「朝日がん大賞に山下俊一さん 被曝医療に貢献」
http://www.asahi.com/health/news/TKY201108310495.html

日本対がん協会(垣添忠生会長)は、今年度の朝日がん大賞と対がん協会賞の受賞者を1日付で発表した。大賞には長崎大学大学院教授で、7月に福島県立医科大学副学長に就任した山下俊一さん(59)が選ばれた。チェルノブイリ原発事故後の子どもの甲状腺がんの診断、治療や福島第一原発事故による福島県民の健康調査や被曝(ひばく)医療への取り組みが評価された。2日に鹿児島市である「がん征圧全国大会」で表彰する。

9/10海老澤徹先生「福島が暴露した原発の虚像と実像」

賛同人仲間から連絡を貰いました。
9/10は熊取六人組大忙しのようです。逆瀬川と武庫之荘で小林圭二先生、大阪クレオで小出さん。私はたぶんどこにも行かず蟄居。

反戦・反格差市民講座第6回セミナー
「福島が暴露した原発の虚像と実像」
ー戦後日本の核・原子力政策を見つめ直すー


講師  海老澤 徹 先生 (元京都大学原子炉実験所助教授)

日時   2011年9月10日(土) 午後1時30分開講

場所  東淀川区民会館 第2会議室

主催  関大校友連絡会


2011年3月11日、東日本大震災の深刻な被害の中、広範囲に及ぶ多数の被災者の生活再建と地域社会の復興は国を挙げて取り組む多くの課題を提示しています。東電福島原発の事故はその渦中の中で原子力発電の持つ想像を超える放射線汚染の危害を次々に明らかにしています。
地震国日本にあっても原発は何時でも何処でも絶対安全という神話の上に組み立てられた原発ルネッサンス路線が、事故事実の前に緊急停止を命じられた地点に立ち会っているものと言えます。
広島、長崎に続く深刻な被爆の実態を福島が日々顕在化する今日にあって、同じ核危害力を内在する54基の原発が全国に設置されており再稼動や継続運転を巡る動きが伝えられます。
原発は戦後核・原子力政策の構成部分として設えられたもので有り、米国等戦勝国による核兵器の独占を基調とする世界の核支配戦略に連動するものです。福島原発の事故を契機に主権国民として核・原子力政策のありようを見つめ直すことが求められているものと考えます。
今回、京大原子炉実験所で永年にわたり核・原子力問題に携わって来られた海老澤徹先生を講師に招き、今日と未来に係わる核・原子力政策の理解を深める機会にしたいと考え第6回市民講座を企画致しました。
是非一人でも多くの人が参加して頂けますよう呼びかけております。
(転載・転送をよろしくお願いします)
                            関大校友連絡会 事務局



島根県知事宛に運転再開認めないでね!という署名を集めています

ぺんぎんさんのところでこの署名の呼びかけを見て、いろんなところに声をかけて肝心のここに書くのを忘れていました。

島根県知事宛に運転再開認めないでね!という署名を集めています
さよなら島根原発ネットワークからのお願いML
さよなら島根原発ネットワークでは、島根県知事宛に運転再開認めないでね!という署名を集めています。
島根原発が止まったら、中国地方は沖縄についで脱原発地域となります。中国地方は原発への依存度が
一番低い上に電気が余っていて、関西電力に売ってます。まずは止めやすいところから落としていこう。

拡散&ご協力お願いいたします。
http://sayonara.daynight.jp/shimanegenpatsu/network/shomei/shomei.shtml
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