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元漫才作家Y氏の記事(下)

(上)、(中)はこちらです。

私の大好きな「ナベサダ好きのタチションのオジサマの話」の詳細はY氏の別のところで読んだことがあります。

ちなみに、うちの老父への場合は、一年半ほど前の「益荒雄覚えてる?」の問いかけでした。
それまでどんなに黄昏ていても、その瞬間に「覚えてるよ!」という眼差しになったのです。それからですね、ピクリとも動かなかった左腕をブンブン振り回せるようになりました。でも同時期にオルゴール療法も開始したからなぁ。どっちもよかったんだと思います。だからナベサダ好きのタチションオジサマの話はひとごとじゃないんです。あるんだよなぁ。こういうことって。
私にとってY氏の「避難所での公演」に近いのは今年原発震災直後、3/19の松喬師匠の還暦落語会(文楽劇場)の感動かもしれません。あれで、医者のくれた胃薬やトランキライザーが不要となりましたもの。

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神戸新聞 2009年(平成21年)1月19日月曜日

あの笑顔を求めて(下)
~演芸と介護つなぐ日々~もう一つの台本

 「やりたいことメモ」と題したファイルがある。
 西脇市の特別養護老人ホーム「楽寿園」で、元漫才作家の山口浩司さん(三八)が勤める棟には、お年寄り五十四人が暮らす。
 接する職員が日ごろのやり取りから、その人にしてあげたいと患ったことをメモにまとめ、できそうなものから実行する。いつか見たドキュメンタリー番組が忘れられない山口さんが、ずっと温めていたアイデアだ。
 「夏の海水浴場に行きたい」「墓参りに出掛ける」「経管栄養の入居者にアメをなめてもらう」・・・。
 難しそうでも、職員は実現に向け努力する。海水浴の前には水分補給の方法を勉強した。
 認知症が進んだ七十代の男性は、働いていたころの話が大好きだった。「今から仕事行くねん」「今日は休みや」。楽しそうに話す。
 「なら一度、昔の仕事場を訪問してみょうか」。勤務先の協力を得られ、高山由佳子さん(ニ八)らが中心になり、準備に二カ月かけた。
 当日、「お帰りなさい」の手作り横断幕が掲げられ、男性は拍手で迎えられた。「変わってへんなあ」「あんたもや」。昼食を食べたことをすぐ忘れてしまう男性が、一緒に働いた仲間の名前をすらすら口にした。
 昼休みはオセロゲーム。以前もそうだつたように、男性はにこにこしながら同僚との対戦を楽しんでいた。
 花束贈呈の後、皆が並んで記念撮影。「また来てな」と手を振る同僚に「おお、また来るわ」。男性のこの言葉で高山さんらの苦労は報われた。

 別のジャズ通の男性。同い年というサクソホン奏者の渡辺貞夫さんの大ファンで、以前は何度もライブに通ったという。「年末の大阪公演、行ってみる?」。山口さんの一言で、それまで入退院を繰り返していた男性が一変した。
 トイレにも行けなかったのに「自分で行く」と言い出した。介助付きながら用を足して周囲を驚かせた。
 シンフォニーホールまではホームの車で送迎し、山口さんら職員二人が付き添った。
 男性はタイミングよく拍手し、三度のトイレも無事に済ませた。「ナベサダはすごいわ」。帰り道、上機嫌で繰り返した。
 ■
 あの時、どうして皆あんなに笑ったのだろう。
 阪神・淡路大震災から丸十四年。山口さんは今も、避難所での公演を覚えている。体育館は、生きる意欲や希望につながる笑いに包まれていた。
 「特別なネタをやったわけではない。出演者はとにかく、自の前の人を舞台に引き込もうと必死だったし、真剣だった。その熱や迫力が伝わったんじゃないかな」
 演芸と介護。一見全く違うのに通じる部分があるという。職員に熱意があるから、高齢者は心からの笑顔を見せてくれる。
 「一人一人とどこまで向合えるかだと思うんです」入居者の笑顔がもっと見たい。「今の手応えは七、八割。もっとできるはず」。元漫才作家は今日も台本づくりに知恵を絞る。
            (溝田幸弘)おわり

「楽しいと思える瞬間があるから、人は生きていける」。山口さんの歩みは続く。


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